昨日は白い韓服の知識は通信使ではなく貿易に来る朝鮮(チョソン)人かと思ったが、秀吉の朝鮮出兵の記憶ということも考えられる。
この俳諧の興行は元禄三年(一六九〇年)、慶長の役(丁酉倭乱)は慶長二年から三年(一五九七~八年)、つまり九十二年前になる。さすがにこの時朝鮮半島に渡った兵士達は生き残ってはいないし、その息子世代もちょっと厳しい。だが、その孫くらいならまだ存命だった。高麗人の白い韓服の記憶は、そうした人たちが語り継いだものだったかもしれない。
さて、「半日は」の巻の続き。
二表。
十九句目。
春の海辺に鯛の浜焼
昼さがり寝たらぬ空に帰る雁 凡兆
春の長閑な日にお祝いの宴で鯛の浜焼きをすれば、いつしか酔いも回って眠くなる。そんな時に帰る雁の姿が見える。
二十句目。
昼さがり寝たらぬ空に帰る雁
雨ほろほろと南吹也 去来
「南吹」は南風(はえ)の吹くことか。「ほろほろ」は「はらはら」「ぱらぱら」といったまばらな降り方をいう。花が散るときや涙が出る時にも用いられる。花の場合は、
ほろほろと山吹散るか滝の音 芭蕉
の句がある。
ほろほろと南風に乗って落ちてくる雨は、さながら雁の涙のようだ。
二十一句目。
雨ほろほろと南吹也
米篩隣づからの物語 景桃丸
「米篩(こめふるふ)」というのは脱穀した籾のゴミを取り除く作業。籾を落下させて風に当てることで軽い藁屑などを吹き飛ばす。
「隣(となり)づから」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「隣どうしである間柄。」
とある。米を篩いながら、隣同士で世間話をしたりする。
二十二句目。
米篩隣づからの物語
日をかぞへても駕篭は戻らず 芭蕉
隣同士での噂話といえば急にいなくなった誰かのこと。駕篭に乗って旅に出たけど、なかなか帰って来ない。何があったのやら。
二十三句目。
日をかぞへても駕篭は戻らず
くだり腹短夜ながら九十度 玄哉
「くだり腹」は下痢のこと。それも一晩に九度も十度もトイレに行くほどのひどい下痢で、こんな状態だから駕篭は帰って来ない。O157のような病原性大腸菌の仕業か。
二十四句目。
くだり腹短夜ながら九十度
おさへはづして蚤逃しける 去来
下痢のひどい状態だから、蚤を捕まえようにも逃がしてしまう。
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