2020年1月10日金曜日

 今日も月がきれいに見える。
 「海くれて」の巻の続き。

 二表。
 十九句目。

   美人のかたち拝むかげろふ
 蝦夷の聟声なき蝶と身を侘て  芭蕉

 蝦夷はここではアイヌなのか古代のエミシなのかはよくわからない。蝦夷の女に惚れてそこの婿になったとしても、やがて戦乱に巻き込まれ、女は死に婿は悲しみにくれる。いかにもありそうな物語だ。
 二十句目。

   蝦夷の聟声なき蝶と身を侘て
 生海鼠干すにも袖はぬれけり  東藤

 海鼠の内臓を取り除き、海水で煮た後乾燥させたものを煎海鼠(いりこ)という。今は中華料理に用いられるが、かつては日本でも薬として珍重されていたが、江戸時代には中国への輸出品となっていた。
 二十一句目。

   生海鼠干すにも袖はぬれけり
 木の間より西に御堂の壁白く  工山

 干し海鼠に涙を流す人物を、殺生の罪を悲しむお坊さんとし、御堂(みどう)を付ける。
 二十二句目。

   木の間より西に御堂の壁白く
 藪に葛屋の十ばかり見ゆ    芭蕉

 「葛屋(くずや)」は草葺屋根の家のこと。ありふれた農村風景と言えよう。
 二十三句目。

   藪に葛屋の十ばかり見ゆ
 ほつほつと焙烙作る祖父ひとり 東藤

 焙烙は号に虍豆と書く字を用いているが、フォントが見つからなかった。「ほうろく」と読む。素焼きの土鍋。「祖父」は「ヂヂ」と読む。陶芸の集落の情景になる。土地柄からして瀬戸焼だろう。
 二十四句目。

   ほつほつと焙烙作る祖父ひとり
 京に名高し瘤の呪詛      桐葉

 これはこぶ取り爺さんのことか。十三世紀前半の『宇治拾遺物語』に登場する。「呪詛」は「まじなひ」と読む。

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