今日は師走の晦日、大つごもり。除夜の鐘もなければ、初詣の人の群もないし、空には月すらない。でもそれが芭蕉の時代の大晦日だった。借金がなければ早々に酒でも飲んで寝るのが最高の大つごもりだったのだろう。
もちろん一方では掛け金の取立てに駆けずり回る人、そこから逃れようとする人もいた。これを掛乞(かけごい)と言った。
深川の草庵にありて、年をむかふる夜、
人々掛乞の句あまたいひ捨たるに、
先師の茶話に、掛乞は冬の季しかるべし。
つなぬきの音さえて小挑灯の影いそがしきは、
彼が本情にして、よのつねの掛乞おかしからず、
夜着・ふとん・水風呂の類ならば、
発句にして冬の雑体ならんと
掛乞や猫の啼居る台所 支考「草苅笛」
この句は台所の猫の啼き居るは掛乞や、の倒置で「や」は疑いのやになる。猫が掛乞するわけではなくて、掛乞みたいだという意味だから。
春来ると猫もいそがし品定 之道「己が光」
この句は冬の部のところにある。年内立春のことか。
柊・鰯の頭・豆うつよりはやく、
立春の暦は
豆をうつ音よりはやし猫の恋 越人「鵲尾冠」
春を待たずにさかる猫は「猫の寒ざかり」ともいう。ただ、最近は野良猫も減って、猫の声を聞かなくなった。狸ばかり増えている。
それはそうと話は変わるが、韓国起源説というのはもともと戦後の日本の左翼系の学者が、韓国に行って日本と同じものを見つけるとみんな朝鮮半島から渡ってきたことにしてしまった、そのあたりから始まったのではないかと思う。
調査範囲が広がると、同じものが中国の南部や東南アジアなどでも見つかって、あっちの方が起源だということになってゆくが、古い知識のまま止まってしまっている人もたくさんいる。
李栄薫の『反日種族主義』にも徴用工の問題は、
「賃金は無きに等しかった。あったとしても朝鮮人を大きく差別し、日本人よりずっと少なかった。
このような主張は、日本の朝鮮総連系知識人、または日本のいわゆる「良心的」知識人によって一九六〇年代から始められました。それを受けて韓国の研究者たちも、同じ主張を今に至るまで単純に繰り返しています。」(no.1090-94)
と書いていて、もちろん日本の「良心的」知識人も同じ主張を今に至るまで単純に繰り返している。
同じく『反日種族主義』に従軍慰安婦のことも、
「最も深刻な誤解は、慰安婦たちが官憲によって強制連行されたというものです。例えば憲兵が、道端を歩く女学生や畑で仕事をしている女性たちを、奴隷狩りをするようにして強制的に連れて行った、というようなものです。こんな話を最初もっともらしく作り、本まで書いた人がいますが、驚いたことに日本人です。」(no.3294)
と書いてある。日本人で左翼の家庭に育った筆者からすれば別にこれは驚くようなことでもなんでもない。彼らは外圧によって日本を変えようとしていたからだ。
彼らは日本人は外圧に弱いと信じている。ペリーの黒船が来たらあっさりと開国して、原爆が落ちたらあっさりとアメリカの言いなりに民主化した。だから韓国や中国が攻めてくれば日本にも革命が起こるというわけだ。
「劣等民族」という言葉も日本の左翼が言い出したことだと思う。自発的に革命を起せない劣等民族である日本人は、中国に占領されて初めてまっとうな人間になれるというわけだ。
何のことない韓国の反日種族主義はすべて日本人が仕組んだことだった。韓国に罪はない。みんな日本人のしたことだ。
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