「半日は」の巻の続き。
九句目。
里ちかくなる馬の足蹟
押わつて犬にくれけりあぶり餅 示右
「あぶり餅」は京都今宮神社の名物で、ウィキペディアには「きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火であぶったあとに白味噌のタレをぬった餅菓子」とある。
今宮神社の辺りから北西へ鷹峯街道が通っていて、若狭の国に通じている。若狭の方から来れば、今宮神社のあぶり餅は「里ちかくなる」あたりだったのだろう。興行の行われた上御霊神社からは二キロくらいの所か。
十句目。
押わつて犬にくれけりあぶり餅
奉加に出る僧の首途 芭蕉
「奉加(ほうが)」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① (神仏への寄進の金品に、自分のものを加え奉るの意) 勧進(かんじん)によって神仏に金品を寄進すること。また、その金品。知識。
※今昔(1120頃か)一二「此、皆、寺僧の営み、檀越(だんをつ)の奉加也」
② 転じて、一般に、金品を与えること、またはもらうこと。また、その金品。寄付。
※浄瑠璃・心中天の網島(1720)下「福島の西悦坊が仏壇買ふたほうが、銀一枚回向しやれ」
③ 「ほうがちょう(奉加帳)」の略。」
とある。
「奉加に出る」①の勧進に出ることを言うのだろう。ただ、その出発に当たって犬にあぶり餅を与えるのも②の意味での一種の奉加か。
十一句目。
奉加に出る僧の首途
白川や関屋の土をふし拝み 去来
「ふし拝み」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」に、
「はるかに拝む。遠くから拝む。ひれ伏して拝む。
出典 平家物語 五・五節之沙汰
「甲(かぶと)をぬぎ手水(てうづ)うがひをして、王城の方(かた)をふしをがみ」
[訳] 甲をぬぎ、手を洗い清め、口をすすいで、都のほうをはるかに拝み。」
とある。僧は白川の関でひれ伏して拝んだというよりは、白川の関の方角を向いて拝んだと考えた方がいいのではないかと思う。
十二句目。
白川や関屋の土をふし拝み
右も左も荊蕀咲けり 凡兆
『奥の細道』の白河のところに、
「卯(う)の花の白妙(しろたへ)に、茨(いばら)の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。」
とある。とはいっても、この頃はまだ芭蕉は『奥の細道』を書いてない。旅の土産話にそんな話をしたことがあったか。
卯の花に関しては、
見て過ぐる人しなければ卯の花の
咲ける垣根や白川の関
藤原季通(千載集)
の歌がある。
十三句目。
右も左も荊蕀咲けり
洗濯にやとはれありく賤が業 乙州
京都では紺屋が洗濯屋も兼ねていた。ウィキペディアでは紺屋と非人との関係について触れている。
「柳田国男の『毛坊主考』によると、昔は藍染めの発色をよくするために人骨を使ったことから、紺屋は墓場を仕事場とする非人と関係を結んでいた。墓場の非人が紺屋を営んでいたという中世の記録もあり、そのため西日本では差別視されることもあったが、東日本では信州の一部を除いてそのようなことはなかった。山梨の紺屋を先祖に持つ中沢新一は実際京都で差別的な対応に出くわして初めてそのことを知らされたという。」
まあ、そういうわけで京の洗濯屋は荊の路だったのだろう。
十四句目。
洗濯にやとはれありく賤が業
猫のいがみの声もうらめし 景桃丸
洗濯に雇われていたのは女性が多かったという。年増は猫の声にも嫉妬する。
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