アメリカもイランも戦争はしたくないんだろうな。だから脅すだけで済ませたいというところで、一見子供の喧嘩のようなやり取りになってしまうのだろう。
北朝鮮と一緒で、完全非核化とひきかえに米軍の撤収というのが落としどころなのかもしれない。北朝鮮の場合は在韓米軍の撤収。イランの場合はイラクからの撤収というところだろうか。
トランプさんもイラクは重荷になっているんだろうな。シリアから撤退したみたいにイラクからも撤退したいのだけど、イランがどうにも邪魔だというところか。
イランの非核化に成功し、米軍もイラクから撤収する。そうなるとイランはシーア派の地域を併合するだろうな。クルド人はうまくするとクルディスタン独立につながるかもしれない。
北朝鮮は自分の方からミサイルを撃って挑発してくるが、イランは潜行して核開発をやっているから、何らかの形でイランの方からの攻撃を引き出したかったのかもしれない。どうせ撤退したら使わない基地だから、解体費用の節約にもなるし。
まあそれはともかくとして、俳諧のほうに移ろう。「海くれて」の巻の続き。
五句目。
樫のたねまく秋はきにけり
入月に鶍の鳥のわたる空 桐葉
鶍(イスカ)はウィキペディアに、「スズメ目アトリ科に分類される鳥類の一種」で、「日本には主に冬鳥として渡来するが、年によって渡来数の変動がある。少数だが北海道や本州の山地で繁殖するものもある。」とある。また、「イスカのくちばしは左右互い違いになっており、このくちばしを使って、マツやモミなどの針葉樹の種子をついばんで食べる。」ともある。
普通なら雁がわたるとでもしそうだが、あえてマイナーな鳥を出してきている。
六句目。
入月に鶍の鳥のわたる空
駕篭なき国を露負れ行 芭蕉
駕篭なき国はよほど辺鄙な所か。露が負われてゆくというのはわかりにくいが、「追われ行く」に掛けているのか。涙ながらに辺鄙な土地へ行かされるのは左遷か流刑か。
初裏。
七句目。
駕篭なき国を露負れ行
降雨は老たる母のなみだかと 工山
駕篭に乗れずに雨に打たれるがまま背中に露を背負ってゆく。それは老いた母の涙であるかのようだ、と。母との間で何があったのか。
八句目。
降雨は老たる母のなみだかと
一輪咲し芍薬の窓 東藤
江戸時代には今のようなガラス窓はなかった。ならばここでいう窓はどういう窓なのか。老いた母のイメージを重ねるとすれば、台所の換気用の窓だろうか。芍薬は背が高いので窓からでもよく見える。
九句目。
一輪咲し芍薬の窓
碁の工夫二日とぢたる目を明て 芭蕉
芭蕉の生まれた一年のち、碁聖と呼ばれた本因坊道策が生まれている。芭蕉の時代は同時に本因坊道策の活躍によって囲碁ブームの起きていた時代だった。
時間制限のなかった時代だから、一手打つのに長考二日なんてのもあったのだろう。「目を明けて」は目をつぶって考えていたのをようやく良いてを思いついて目を明けるというのと、碁は目を二つ作るともはやその石を取られないというのと掛けている。こうしてできた地は格子窓の芍薬の様でもある。
十句目。
碁の工夫二日とぢたる目を明て
周にかへると狐なくなり 桐葉
妖狐玉藻前は前歴として周の第十二代の王、幽王の后、褒姒だったという。
碁は平安時代の女房、女官の間でも盛んに打たれていて、『源氏物語』にも空蝉と軒端荻が碁を打つ場面がある。ならば、玉藻前が碁を打っていたとしてもおかしくないだろう。
碁に負けて正体を表わした妖狐が周へ帰るといって泣く場面もあったかもしれない。
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