今年はなかなか冬型の天気が安定しない。菜の花や蝋梅など花の便りが若干早いような気もする。
春が早いのはいいが、夏が恐い。
温暖化といえばトゥンベリさん日本に来るのかな。来るとしたらシベリア鉄道でウラジオストックまで来て、そこからヨットなのかな。
きたらぜひ福島の浜通りに来て欲しいな。何か得るものがあると思う。
あと、鈴呂屋書庫に「天正十年愛宕百韻の世界ー明智光秀の連歌ー」をアップしたからよろしく。
それでは「海くれて」の巻、挙句まで。
二裏
三十一句目。
棺いそぐ消がたの露
破れたる具足を国に造りけり 東藤
『校本芭蕉全集』第三巻の注には「『造』は『送』の草体よりの誤。」とある。それだと普通に合戦で死んだ人の句で、故郷に遺品を送る句になる。
三十二句目。
破れたる具足を国に造りけり
高麗のあがたに畠作りて 桐葉
ここに「作りて」とあるから「造りけり」だと同語反復になる。やはり「送りけり」で正解なのだろう。
文禄・慶長の役(壬辰倭乱・丁酉倭乱)の時に現地に住み着いてしまった人もいたのだろうか。第二次大戦の時には東南アジアにそのまま住み着いて帰国しなかった兵士がたくさんいたが。
三十三句目。
高麗のあがたに畠作りて
紅粉染の唐紙に花の香をしぼり 芭蕉
「唐紙」はここでは「とうし」と読ませているが、「からかみ」は京都の名産品で襖に多く用いられたので、近年でも襖のことを「からかみ」と言っている。最近はあまり聞かなくなったが。
ウィキペディアには、
「京における高度な紙の加工技術が、平安王朝のみやびた文化を支えたともいえる。豊かな色彩感覚は、染め紙では高貴やかな紫や艶かしい紅がこのんで用いられるようになった。」
とある。
前句の朝鮮出兵から一変して王朝の風雅に取り成す。
高麗のあがたはここでは武蔵国高麗郡のことであろう。かつては高句麗の遺民が住んでいた。
三十四句目。
紅粉染の唐紙に花の香をしぼり
ちいさき宮の永き日の伽 工山
王朝の雰囲気を引き継いで、幼い宮様のお相手をして春の長い一日を過ごすとする。
三十五句目。
ちいさき宮の永き日の伽
春雨の新発意粽荷ひ来て 桐葉
「新発意」は仏道に入ったばかりの者。「しんぼち」と読む。
「粽(ちまき)」は最近ではいろいろな具材の入った中国料理を指すことが多いが、日本の粽は餅米を笹や竹の皮やチガヤの葉で包み、灰汁で煮込んだものだった。今でも南九州に「あくまき」と呼ばれるものが残っている。筆者も鹿児島にいた時に食べたことがある。
粽というと端午の節句だが、かつては上巳の節句でも食べることがあったのか。
前句の「ちいさき宮」を神社の意味の取り成す。神仏習合でお寺とお宮は一緒にあった。
挙句。
春雨の新発意粽荷ひ来て
青草ちらす藤のつぼ折 東藤
「つぼ折」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「① 小袖、打掛などの着物の両褄を折りつぼめ、前の帯にはさみ合わせて、歩きやすいように着ること。
※浮世草子・紅白源氏物語(1709)序「吉野山の花を雲と見給ひ、立田川の紅葉を錦と見しは万葉の古風、市女笠着てつぼほり出立の世もありしとかや」
② 能の女装の衣装のつけ方の名称。唐織りや舞衣などの裾を腰まであげをしたようにくくり上げて、内側にたくしこんで着ること。
※波形本狂言・鬮罪人(室町末‐近世初)「ざひ人のやうにとりつくらふて下され〈略〉ツボ折作物コシラヱル内ニ」
③ 歌舞伎で、時代狂言の貴人や武将が上着の上に着る衣装。打掛のように丈長(たけなが)で、広袖の羽織状をなした華麗なもの。壺折衣装。」
とある。この場合は①か。
藤の花の下、青草を散らしながら小袖を壺折にして粽を運んでくる新発意の姿を描き出し、この一巻も目出度く終わる。
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