2020年1月19日日曜日

 今日は町田の忠生公園の蝋梅を見に行った。満月蝋梅いい香りに包まれてきた。
 蝋梅は臘月(旧暦十二月)に咲くから蝋梅らしく、冬の季語で春はもうすぐ。
 昨日は結局雪がぱらついただけだが、予報が外れて夜まで降り続いた。雪になっていたら大雪になるパターンだった。
 それでは「半日は」の巻の続き。挙句まで。

 二裏。
 三十一句目。

   世は成次第いも焼て喰フ
 萩を子に薄を妻に家たてて    芭蕉

 「いも焼て」というと今ではサツマイモの焼き芋を連想するが、当時はまだサツマイモはない。里芋は今ではもっぱら煮て食うが、かつては櫛に刺して味噌田楽にしたようだ。
 前句の場合は文無しで串に指して焚き火で炙っただけのような雰囲気だが、ここでは家を建てるくらいだから、それなりの味付けをしていたのだろう。芋というと徒然草第六十段の芋頭の僧都のことも思い浮かぶ。
 妻子を持たずにひっそりと暮らす風狂物のようだが、「妻」は薄で葺いた屋根の妻とも取れる。
 三十二句目。

   萩を子に薄を妻に家たてて
 あやの寝巻に匂ふ日の影     示右

 綾織物はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、

 「模様を織り出した美しい絹織物。朝廷では五位以上の者の朝服に限り許されたが、蔵人(くろうど)は六位でも着用を許された。あやおり。あや。」

とある。前句の隠遁者のイメージにはそぐわない。ここは「萩」という名前の娘と「薄」という妻のために家を建てて住まわせた、光源氏のような人物に取り成したか。
 三十三句目。

   あやの寝巻に匂ふ日の影
 なくなくもちいさき草鞋求かね  去来

 これは『去来抄』「先師評」に、

  「あやのねまきにうつる日の影
 なくなくも小きわらぢもとめかね   去来
 此前句出て座中暫く付あぐみたり。先師曰、能上臈の旅なるべし。やがて此句を付く。好春曰、上人の旅とききて言下に句出いでたり。蕉門の徒、練各別也。 (岩波文庫『去来抄・三冊子・旅寝論』P,26~27)

とある。
 前句が『源氏物語』のような王朝を連想させるだけに、そこから抜け出すのが難しかったのだろう。
 芭蕉のヒントは「上臈」よりもむしろ「旅」の方が重要だった。旅体に転じてはどうかというヒントで、去来のこの句ができたといっていいだろう。
 上臈の方は朝まで寝ているが、お付の者は草鞋を探して駆けずり回っている。
 どちらかというとアドリブに弱い去来さんだが、思うに頭の中にあるあるネタをストックしておくようにしたのではないかと思う。だから「上臈の旅」と言われてすぐに上臈の旅あるあるが出てきたのではないかと思う。
 三十四句目。

   なくなくもちいさき草鞋求かね
 たばこのかたの風にうごける     玄哉

 「たばこのかた」は『校本芭蕉全集 第四巻』の注に、

 「煙草の葉の形をした厚紙に渋を塗って店の軒にぶらさげた看板。」

とある。ネットで検索すると、吉田秀雄記念事業財団のページに「江戸期」の「諸国名葉」と書いてある煙草の葉の形をした看板を見ることができる。江戸中期には、菱形を縦に三つ繋げた看板にそれぞれ多・葉・粉と書いてあるものが用いられていたらしい。これは「たばこと塩の博物館」に再現されている。
 草鞋を探して宿場を歩いていると、ついつい煙草の看板に目が行ってしまうということか。
 三十五句目。

   たばこのかたの風にうごける
 真白に華表を見こむ花ざかり     景桃丸

 会場となる上御霊神社の別当の息子さんにいわゆる「花を持たせる」ということで、二番目の花の定座は景桃丸が詠む。最初の花は季吟門からのゲストの好春が詠んだ。
 「華表」が「とりゐ」と読むのは、「海くれて」の巻の十二句目「花表はげたる松の入口 工山」の時と同様で、ここでは正花の「花」が登場するので同字を避けて「華」の字に変えてある。
 「見こむ」はよくわからないが、ついついじっと見てしまう、という意味だろうか。境内の花が満開で真っ白に見えるので、ついついそちらの方を見てしまう。
 ただ、花盛りも長く続くものではなく、やがて風に散る定めか、タバコ屋の看板が風に揺れている。
 挙句。

   真白に華表を見こむ花ざかり
 霞にあぐる鷹の羽遣ひ        史邦

 神社の花も満開になり、春の霞に若い鷹が羽遣いを覚え、高く舞い上がってゆく。景桃丸の成長を祈ってのことか、この一巻は目出度く締めくくられる。

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