河豚を詠んだ句が多いのも、河豚が実際はそれほど危険でなかった証拠であろう。
確かに死ぬことはあるが、かなりの率で死ぬならそれこそ「洒落にならない」わけで、俳諧の洒落になるのは安全だからだ。
今日安心してふぐ料理が食べられるのは、必ずしも河豚の調理を免許制にして管理されているからだけではない。その免許を取るのに必要な知識や技術は決して一朝一夕に生じたものではなく、それこそ縄文時代からの長い河豚食の歴史によるものに他ならない。
それに加え、衛生状態が今よりも明治の頃よりも更に悪かった江戸時代にあって、危険は何も河豚だけに限らない。夏に食中毒で死ぬ確率は鰒で死ぬよりも高かったかもしれない。
また、生活の中でも野草や茸の採集を日常的に行っていた時代には、誤って毒草や毒茸を食べる危険もあった。
食中毒や毒草・毒茸の危険に較べると、鰒の危険は計算できる危険であり、選択できる危険だった。
いつ突然変なものを喰って死ぬかもしれない時代にあって、予測できてそれでいてそれほど確率の高くない危険であれば、年末に無事正月が迎えるかどうか占う意味でも、河豚というのは運試しをするのにちょうどよかったのかもしれない。
そこで、死ぬかもしれない、でも死ななかった、その喜びが河豚の句に溢れているのではないかと思う。芭蕉の、
あら何ともなや昨日は過ぎて河豚汁 桃青
の句はまさにその典型と言えよう。
そして無事年を越せれば、
鰒汁の白髪めでたし年忘 桃妖(草苅笛)
となる。
河豚には雪を詠むことが多い。
雪辱し夜ルかつらぎの鰒姿 暁雲(武蔵曲)
雪路ふかく水仙刈つ夜の鰒 言水(武蔵曲)
舟君のさうしや落る雪の鰒 山川(其袋)
河豚釣らん李陵七里の浪の雪 芭蕉(桜下文集)
魚店に鰒の残るや雪けしき 呂風(続有磯海)
河豚つりや海にきわ立ツ山の雪 史邦(俳諧猿舞師)
初雪の消る所や河豚魚汁 冶天(正風彦根体)
鰒くふて其後雪のふりにけり 鬼貫(大悟物狂)
鰒の身が白いこと、雪の季節に食べることなどから、寄り合いになったのだろう。
発句ではないが河豚が秋に詠まれた例もある。
世の栄街に月の占見せて
河豚めづらしく秋の江に釣ル 如泉(庵桜)
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