今夜は雪になるのかな、あまり積もらないといいな。
それはそうと、一昨年の四月八日から五月三日までこの俳話で読んでいった「宗祇独吟何人百韻」を鈴呂屋書庫にアップした。よろしく。
それでは「半日は」の巻の続き。
二十五句目。
おさへはづして蚤逃しける
閑なる窓に絵筆を引ちらし 史邦
江戸時代に今のようなガラス窓がなかったことは「海くれて」の巻の八句目のところでも触れたが、中世の書院造りには和紙を張った「明かり障子」が登場する。これは「書院窓」とも呼ばれる。採光と喚起を行うためのものだった。
こうした窓はある程度立派な屋敷かお寺などにあるもので、「閑なる窓」もこうした格式ある家の窓であろう。書院で絵を描いていると蚤がいるのを見つけ、つい墨のついた筆で捕まえようとしたのだろう。結果、墨が窓の障子に飛び散ることになる。
二十六句目。
閑なる窓に絵筆を引ちらし
麓の里のおてて恋しき 凡兆
「てて」は父(ちち)の母音交替。時代劇などでも「てておや」という言葉が使われてたりする。
山寺に棲む年少の修行僧であろう。前句の「絵筆を引ちらし」を落書きのこととする。
二十七句目。
麓の里のおてて恋しき
首とる歟とらるべきかの烏啼ク 示右
合戦の場面であろう。掃討戦になってくると辺りに死体が累々と横たわり、烏が群がってくる。やるかやられるかの極限の状況の中、思い出すのは里に残してきた父のこと。
二十八句目。
首とる歟とらるべきかの烏啼ク
野中に捨る銭の有たけ 好春
前句を山賊の襲撃とし、ありったけの銭を置いて逃げる。命あっての物種だ。
二十九句目。
野中に捨る銭の有たけ
月ほそく小雨にぬるる石地蔵 史邦
前句の銭をお賽銭のこととする。村雨も上がり、明け方の空に細い月が浮かぶ。発心し、わずかな財産を捨てて仏道に入るのだろうか。
三十句目。
月ほそく小雨にぬるる石地蔵
世は成次第いも焼て喰フ 凡兆
「成次第」は成り行きに任せること。英語だとlet it beか。
村外れに佇む石地蔵。雨上がりの月の出る明け方、これからどうしようかと嘆いても始まらない。まずは芋でも食って、それから考えよう。どうせ成るようにしか成らないのだから。
0 件のコメント:
コメントを投稿