「凩の」の巻の続き。
二表。
十九句目。
牛は柳につながれて鳴ク
野々宮も酒さへあれば春の興 言水
京都嵯峨野にある野宮(ののみや)神社は、かつては伊勢神宮に奉仕する斎王が伊勢に向う前に潔斎をした場所で、『源氏物語』賢木巻では源氏の君が六条御息所を尋ねてこの野宮にやってくる。秋のことだった。
謡曲『野宮』では牛車に乗った御息所が登場するというから、前句の牛を牛車を引く牛としたのだろう。源氏も忍んで来たから、源氏がどこかの柳の木に牛を繋いでいたのかもしれない。
斎王の制度は南北朝時代に廃絶し、それ以降は普通の神社になったのだろう。ならば酒さえあれば昔の源氏と御息所の寂しげな別れの場面なども忘れ、春の興となる。まあ、昔は潔斎の場所だから酒はなかったのだろう。
これも古典の雰囲気を生かした蕉門の俤付けとは違い、むしろ古代と現代のギャップで笑わせる。そういうところが談林的で言水流なのだろう。
二十句目。
野々宮も酒さへあれば春の興
詞かくるに見返りし尼 言水
嵯峨で尼さんをナンパしようとしたのか。
嵯峨の尼というと祇王寺で、清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王と仏御前の悲しい物語があるが、それも昔の話。
二十一句目。
詞かくるに見返りし尼
思ひ出る古主の別二十年 言水
昔の主人との恋物語もあったのだろう。結局結ばれることなく女は尼となり、あれから二十年。ふと昔の主人に呼び止められたような気がして振り返る。そこには‥‥。メロドラマだね。
二十二句目。
思ひ出る古主の別二十年
東に足はささでぬる夜半 言水
忠臣だったのだろう。何かの誤解で左遷されてしまったかお暇を出されたか、それでも主君のいる方角に足を向けて寝ることはない。
殿は東にいるということは家康公の忠臣か。
二十三句目。
東に足はささでぬる夜半
漏ほどの霰掃やる風破の関 言水
前句の「東に足をささで」を東に向って歩かずにと取り成したか。
風破の関(不破の関)は荒れ果てて、雨漏りどころか霰も漏ってくるので掃き出さなくてはならない。そんな荒れた天気だから、今日は関を越えずにここで一夜過ごそう、とする。
二十四句目。
漏ほどの霰掃やる風破の関
餅つく人ぞ人らしき㒵 言水
前句の霰をあられ餅のこととする。不破の関で餅を搗いては大量のあられを作っている。一体こんな所で餅を搗くとは誰なんだろうか。人のように見えるがひょっとして人外さん?
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