2019年12月13日金曜日

 今日は一日曇っていて寒かった。
 日本が二度目の化石賞ということで、何でこうなってしまうのか。
 日本には再生可能エネルギーの高度な技術があるし、それに必要な資源(太陽光、地熱、水力、潮力、風、バイオ燃料の原料になる物)にも恵まれている。やろうと思えばいつでも脱炭素社会を作れる。
 それをやらない最大の理由は、東京電力、関西電力など少数の電力会社が一つの地域の電力事業を独占しているからだ。
 こうした電力会社は収益率の高い大規模発電所による一括供給というモデルを変えようとしない。そのため原発か火力かという二択に陥ってしまう。自民党は電力会社と癒着し、民主党も電力会社の労組の票が欲しい。そのため今までの政治は基本的にこの二択以外の決断はできなかった。
 福島の原発事故で脱原発の世論が高まったとき、民主党の野田政権は脱原発に舵を切ったが同時に火力発電所の大増設を打ち出してしまった。この政策はそのまま自民党の安倍政権に受け継がれた。
 バイオ燃料が普及しないのも、石油業界の寡占体制に原因がある。
 日本にはミドリムシからジェット燃料を製造する技術があり、これが大々的に行われればトゥンベリさんも堂々と飛行機で移動できるようになるだろう。
 日本はやろうと思えばいくらでもCO2を削減できる。それをやらないのは与野党揃っての政治の貧困だが、まあ、政治家をいくら批判した所で前へ進めるわけでもない。
 日本はノーベル賞受賞者もたくさん輩出しているし、イグノーベル賞に至ってはほとんど独壇場といってもいい。頭が良くて柔軟性もある。ただ、いくら才能のある人間がたくさんいても、それを政策提言へと集約する事ができていない。トゥンベリさんに叱られちゃうね。

 今言えることはこれくらいなので、「枇杷五吟」の方に行ってみようか。

 十五句目。

   無欲にまつる精霊の棚
 布袋にも能似し人の踊出     北枝

 「能」は「よく」と読む。
 盆踊りの場面だが、布袋さんに似ているのならデブにちがいない。踊る安禄山みたいなものか。
 十六句目。

   布袋にも能似し人の踊出
 伏見の月のむかしめきたり    牧童

 伏見人形の布袋さんの縁で付けたか。伏見人形はコトバンクの「日本大百科全書(ニッポニカ)の解説」に、

 「江戸時代初期の元和(げんな)年間(1615~24)には、すでに人形製作販売の伏見商人仲間(同業組合)が存在していた。一般には関ヶ原の戦いで敗亡した宇喜多秀家(うきたひでいえ)の陪臣(ばいしん)、鵤(いかるが)幸右衛門が、深草の里に隠棲(いんせい)、土人形をつくり生業としたのが始まりと伝えられている。また、東福寺門前の焼き物師、人形屋幸右衛門に、伏見稲荷大社に近い臨済宗東尊寺開山堂の布袋(ほてい)座像を模してつくらせたのがおこりとする説もある。」

とある。
 また伏見というと、『看聞日記』永享三年(一四三一)七月に即成院で異形風流の念仏踊りが行われたという記録がある。(『洛北における盆の風流灯籠踊り』福原敏男、国立歴史民俗博物館研究報告第112集2004年2月)
 伏見にかつての秀吉の時代の栄光はないが、昔ながらの盆踊りが月の下で行われている。
 十七句目。

   伏見の月のむかしめきたり
 花はちる物を見つめて涙ぐみ   乙州

 「物」は幽霊か、それとも昔の伏見の幻か。伏見の月に花は散り、昔を思い出すと悲しい。
 十八句目。

   花はちる物を見つめて涙ぐみ
 人は思ひに角おとす鹿      小春

 鹿は春先に角が抜け落ちる。
 花が散れば人は物思いに涙ぐみ、鹿は涙ではなく角を落とす。

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