『新撰都曲』で、そんなに句数は多くないけど目に付くのは「網代守」だ。
「網代」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」にいくつか意味が載っているが、この場合は、
「湖や川に柴(しば)や竹を細かく立て並べ、魚を簀(す)の中へ誘い込んでとる仕掛け。冬の宇治川の氷魚(ひお)漁が古くから有名。《季 冬》」
になる。宇治川だけでなく近江の方でも行われていて、『幻住庵記』にも、
「ささほが嶽・千丈が峰・袴腰といふ山あり。黒津の里はいと黒う茂りて、「網代守るにぞ」と詠みけん『万葉集』の姿なりけり。」
とある。前に「幻住庵記」を読んだときに、
「網代守るにぞ」の歌は『芭蕉文集』(日本古典文学大系46、一九五九、岩波書店)に、
田上や黒津の庄の痩男
あじろ守るとて色の黒さよ
という古歌を『万葉集』の歌と混同したとある。この歌はこれより後に書かれた『近江與地志略』(享保十年)にあるという。この地方に芭蕉の時代からこういう伝承歌があったのか。」
と書いた。
『万葉集』の歌といえば、
もののふの八十やそ宇治川の網代木に
いさよふ波の行くへ知らずも
柿本朝臣人麻呂
の歌は今日でもよく知られている。
「網代守」を詠んだ歌は少ないが、
つきせじな八十宇治川の網代守
よる年波のひをかぞふとも
藤原家隆
がある。
それでは『新撰都曲』から、
色黒し京に猶見ぬ網代守 千春
網代守の日焼けした色の黒さは、誰しも知ってるものだったのだろう。『近江與地志略』の歌でも黒さが詠まれている。
「幻住庵記」の黒津の里はいと黒う茂りて、「網代守るにぞ」と詠みけん『万葉集』の姿なりけり。」も黒を二回重ねて、間接的に網代守の黒さを匂わせていると見ていいのではないかと思う。
橋姫や物云かはす網代守 友益
橋姫は古くは、
さむしろに衣かたしき今宵もや
我をまつらん宇治の橋姫
よみ人知らず(古今集)
の歌にも詠まれている。『源氏物語』にも橋姫の巻があって、薫の詠む、
橋姫の心を汲みて高瀬さす
棹のしづくに袖ぞ濡れぬる
の歌がある。
橋姫は宇治の橋の守り神であるとともに、いつも誰かを待っているようだ。
宇治の網代守なら、そんな橋姫とも面識があって、会話を交わしたりしているのではないか、と疑いの「や」を用い、橋姫は網代守と物云かはしたりするのだろうか、と詠む。
網代守にはどこか仙人のような人間離れしたイメージがあったのだろう。
火の影や人にてすごき網代守 言水
「すごし」というのはぞくっとする感覚で、恐かったり気味が悪かったりすさんでいたり、何か日頃馴染んだよく知ったものがないようなときに用いられる。こうしたことばは昔の「いみじ」や今の「やばい」のように、逆にいい意味に転じて用いられることが多い。いまの「すごい」はそこから来ている。
「人にて」というところに、やはりひょっとして人間じゃないんじゃないかという感じが込められている。でも人間だと言い切るところは言水さんらしい。
只一つこはぜき高し網代守 一酔
「こはぜき」は「声咳」のこと。静かな河原では咳をする声がひときわ大きく聞こえる。
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