2019年12月10日火曜日

 さて、次はどの巻を読もうかという所で、蕉門だけど芭蕉の参加していないものを選んでみた。『新撰都曲』と同じく、『元禄俳諧集』(新日本古典文学大系71、一九九四、岩波書店)からで、北枝編の『卯辰集』(元禄四年刊)から枇杷五吟を見てみよう。
 メンバーは『奥の細道』にも登場する加賀の北枝、それにその兄の牧童、近江蕉門の乙州、加賀の小春(しょうしゅん)は曾良の『旅日記』の七月二十四日の所に、

 「快晴。金沢ヲ立。小春・牧童・乙州、町ハヅレ迄送ル。」

とある。もう一人の魚素についてはよくわからない。同じ『卯辰集』に、

 行雲のうつり替れる残暑哉    魚素

の発句がある。
 さて枇杷五吟の発句。

 凩やいづこをならす枇杷の海   牧童

 同じ琵琶湖の凩というところで、前回に見た、

 凩の果はありけり海の音     言水

を思わすところがある。
 琵琶湖はウィキペディアには「湖の形が楽器の琵琶に似ていることがわかった江戸時代中期以降、琵琶湖という名称が定着した。」とあるが、元禄四年に「枇杷の海」が既に用いられている。
 レファレンス事例詳細には、「『琵琶湖』という名前が文献に初めて現れるのは16世紀初頭、室町時代の後期です。」とある。また、名前の由来について、「名前は竹生島にまつられている弁才天がもつ楽器の琵琶に湖の形が似ていることに由来します。また、琵琶が奏でる音色と湖水のさざ波の音がよく似ていたからともいわれています。」とある。
 この由来からすると、言水の「海の音」は凩の掻き鳴らす琵琶の音だったのかもしれない。
 牧童の句も同じネタになってしまうが、凩が琵琶を鳴らすにしても、弦のない琵琶湖のどこを掻き鳴らすのだろうという句だ。
 これに対し、近江の乙州が脇を付ける。

   凩やいづこをならす枇杷の海
 西もひがしも蕪引空       乙州

乙州が脇を詠み、発句に琵琶湖が詠まれているところから、大津での興行と思われる。
 乙州について、ウィキペディアには、

 「元禄2年(1689年)家業により加賀金沢に滞在中『奥の細道』旅中の松尾芭蕉と邂逅した。同年12月芭蕉を大津の自邸に招待し、以降上方滞在中の芭蕉を度々招き、また義仲寺の無名庵や幻住庵に滞在中の芭蕉の暮らしを姉智月尼と共に世話をした。」

とあるが、この興行も元禄二年の冬だったのかもしれない。
 発句の「いづこ」を受けて「西もひがしも」とし、琵琶の弦はないが蕪が収穫期を迎えているとする。「凩」に「空」が付く。
 第三。

   西もひがしも蕪引空
 道草の旅の牝馬追かけて     小春

 「牝馬」は「ざうやく」と読む。コトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」では騲駅という字が当てられ、「『騲』は牝馬、『駅』は宿駅の馬の意」とある。
 これとは別に同じコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、雑役馬(ぞうやくうま)があり、こちらは。

 「乗用には使わないで、いろいろな雑用に使う牝馬(めすうま)。駄馬。雑役。」

とある。
 句の意味からすると、旅に用いる馬だから宿駅の牝馬だろう。ただ、「追かけて」とあるからやはり乗用ではなく、旅の荷物だけを乗せた馬なのか。
 「西もひがしも」は「西も東もわからない」ということか。道草してたら迷ってしまい、どっちを見ても蕪畑でどっちに行けばいいのやら。

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