『新撰都曲』を読んでいると牛の句が結構目立つ。京都にはそんなに牛が多かったのだろうか。
京都ではないが、歌川広重の『東海道五拾三次之内大津』には牛が荷車を曳く様子が描かれている。京都近辺では古代道路の名残で、牛が通れるような広い舗装道路が多かったのかもしれない。
牛の毛の折レぬ曲らぬ時雨かな 加柳
牛の毛は雨をはじくというから、雨で毛が折れたり曲がったりすることがあるのかはよくわからない。
この句は牛の毛のように折れぬ曲がらぬと読むこともできる。
ちなみに毛雨は霧雨のこと。牛だけに「もう雨」?
寝ざめては牛の地を聞時雨哉 都雪
馬は立って寝ることもあるが、牛は大体横になって寝る。「食べてすぐ寝ると牛になる」という諺も牛の寝姿から来たのだろう。
牛が早朝に目覚めると、耳元で時雨が地面を打つ音が聞こえる。牛の気持ちになった句だ。
早今朝は牛の息見る冬野哉 正之
寒い朝は吐く息が白くなるが、牛の息も白くなる。
熊痩て牛に楽ある深雪哉 可雪
雪が降ると熊は痩せて、牛は襲われる心配がないから楽がある。でも熊って冬眠するのでは。
玉落す柳に牛の眠かな 松隠
柳が春なのは芽吹いたばかりの緑の鮮やかさだけでなく、この時期に目立たないが緑色の花も咲く。その春の柳に置く露は柳の糸に繋ぎとめられた玉にも喩えられる。
浅緑いとよりかけて白露を
珠にもぬける春の柳か
僧正遍照(古今集)
という歌にも詠まれている。
そんな柳の露の散る下で牛が長閑に眠っている。
捨牛の海松和布求る潮干哉 清昌
「海松和布」は「みるめ」と読む。扇状に広がる緑藻。捨てられた牛は腹をすかしてみるめでも食べるということか。
本当に牛が緑藻を食べるのかどうかはよくわからない。ただ、最近では牛にカギケノリという紅藻を食べさせることで、牛のげっぷを減らすことができるとの研究があるようだ。
刈込て牛の草撰躑躅かな 孤松
躑躅を引き立たせるために、回りの草を刈り込むから、牛がどこを食べていいか撰ぶのに困る。
松の色牛の見て鳴焼野かな 蚊市
野焼きの後の焼野に草はないが、松の木の緑を見ると食べ物があると思うのか、鳴く。
橋過る牛の影追ふ早鰷哉 觚哉
「早鰷(さばえ)」は「ハヤ」のことで、ウィキペディアには、
「日本産のコイ科淡水魚のうち、中型で細長い体型をもつものの総称である。ハエ、ハヨとも呼ばれる。」
とある。ウグイやオイカワやカワムツなどを指す。
牛が橋を渡ってゆくと、ハヤもそれを追いかけるように泳いでゆく。
長き夜や花野の牛となる夢も 千春
花野といっても牛なら食べちゃうのではないかと思う。でも、綺麗な花に囲まれ悠々と過ごす牛にはなってみたい気もする。胡蝶の夢からの発想か。
ゆく牛に口籠はむる花野哉 可雪
やはり牛は花野の花を食べてしまう。そのため口に籠をはめる。
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