日本の朝鮮半島の併合は、ロシアの南下政策によって早かれ遅かれ朝鮮(チョソン)がロシアの植民地になる、そうなると日本にとって大きな脅威となるというのが直接の動機だったとされている。
吉田松陰やその意思を引き継いだ長州藩士中心の明治維新を経る事で、西洋列強の脅威は過剰なまでに煽られていて、その不安な心理がそうさせたのだと思う。今から見れば必要のないことだった。
結局1945年、ロシア(当時のソ連)が南下してきた時に、日本はそれを防ぐことができず、朝鮮半島は南北分断される結果となった。
そして、南北分断のもう一つの原因も日本にあった。それは日本共産党の影響力だった。
日本共産党は唯一軍国主義と戦った政党ということで戦後急速に力をつけたし、彼等は同じ抑圧されたものとして在日を取り込もうとしていた。その思想への共鳴が北朝鮮への過剰な期待を産み、多くの在日が北へ渡った。
これに輪を掛けて、戦後の日本のいわゆる進歩的文化人が敗戦を日本の文化伝統全般の敗戦と受け止め、日本を否定し、西洋を中心とした「一つの世界」の形成に参加することを使命とした。この時の極端な日本の文化歴史に対する自虐的な思考が、北朝鮮を楽園とする思想と結びつき、これが南北問題の解決の足を引っ張り続けた。今でも日本のマスコミは基本的に北朝鮮びいきで、韓国主導の南北統一に反対している。
更には本来は北の独裁から守るために共に戦わなくてはいけない日本が、あたかも今にも朝鮮半島に攻めてくるかのようなデマを広め、混乱に拍車を掛けている。北も積極的にこのデマを利用している。
日本は今も朝鮮半島に迷惑をかけ続けている。それは認めざるを得ないだろう。
フランスもいろいろあるようだが、日本では情報が少なすぎる。最初のデモの時には日本のマスコミは何も報道せず、二回目の時、一部が報じたものをようやく2チャンネルで知った。三回目の時、ようやくマスコミも重い腰を上げ、テレビでもほんの少し流すようになり、今回のデモの前夜になってようやく大きく報道されるようになった。
さて「野は雪に」の巻は終ったので、同時代の『続山の井』(北村湖春編、寛文七年刊。)の宗房の三句を紹介しておこう。
芭蕉の付け句がこうして残っているということは、まだ伊賀にいた頃の芭蕉(宗房)の参加した俳諧興行が「野は雪に」の巻だけでなかった証しにもなる。撰ばれたものだけで全部が残ってないのは残念だ。
かたに着物かかる物かはうき難所
今をたうげとあつき日の岡 宗房
前句は街道の難所を越える時に着物が枝に引っかかったりしたか、あるいは泥濘で泥が跳ねるか何かで着物を肩に掛けて通ったという句だったのであろう。
これを芭蕉は暑さのせいで一枚着物を脱いで肩に掛けたとする。この着想は後の貞享五年、『笈の小文』の、
衣更
一つぬひで後に負ひぬ衣がへ 芭蕉
に生かされている。
後生ねがひとみ侍がた
しゃかの鑓あみだやすりのつば刀 宗房
「あみだやすり」はweblio辞書の「刀剣用語解説集」に、
「鐔の表面に施された装飾的鑢模様の一種。鐔の中心から放射状に細い線を刻み込んだ様子が、阿弥陀如来の背にみられる後光を思わせるところからの呼称。古い時代では信家に例を見るが、線の長さや幅がそろわず荒さが感じられ、古雅な雰囲気を感じさせるものが多い。後光の線刻をきれいにそろえて放射線を描いたものを日足鑢として区別することもあるが、基本的には同形態の模様である。」
とある。
「釈迦の鑓」は特にお釈迦様がそういう槍を持っていたと言うのではないようだ。『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注によれば、謡曲『柏崎』に「釈迦は遣り弥陀は導く一筋に」という一節があり、その縁で阿弥陀を導く枕詞のように「しゃかのやり」を頭に敷いたと思われる。
前句の「後生ねがひ」を「後生だから(一生のお願い)」という意味に取り成し、阿弥陀やすりの鍔の刀が欲しいとする。
余談だが旭日旗の放射状のデザインは、阿弥陀如来の後光にルーツがあるのかもしれない。だったら韓国人は阿弥陀如来を告発せねばならないかも。
賤が寝ざまの寒さつらしな
おだ巻のへそくりがねで酒をかはん 宗房
「しづのおだまき」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「倭文を織るのに用いる苧環。「繰り返し」「いやし」などの序詞に用いる。
『いにしへの―繰り返し昔を今になすよしもがな』〈伊勢・三二〉」
とある。
前句の「賤(しづ)」からの縁で「おだ巻」を出す。
「苧環(おだまき)」はウィキペディアによれば、
「苧環(おだまき)は、糸を巻いて玉状または環状にしたもの。布を織るのに使う中間材料である。「おだまき」は「おみ」「へそ」ともいう(「麻績」「麻続」「綜麻」)。次の糸を使う工程で、糸が解きやすいようになかが中空になっている。」
だという。
同じくウィキペディアに、
「「へそくり」は、苧環(綜麻)を作って貯めておいた駕籠のなかに秘かに蓄財するから、という説があるが、「へそ」をよりたくさん作って貯めた余剰の蓄財から、または、蓄財を内緒で腹の「臍(へそ)」の上にしまっておくから、など諸説ある。」
ともある。
「おだ巻の」を臍に掛かる枕詞のように用いて、賤がへそくりで酒を買わんと付ける。
いずれも貞門的な技法を駆使しながらも、王朝趣味の絵空事にならず、リアルな「あるある」を描いている所が芭蕉らしい。
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