今日は午前中は雨で午後からは晴れた。
「ボヘミアン・ラプソディ」の影響もあってか、この頃70年代の懐かしいロックを聴いている。アップル・ミュージックやユーチューブでも探せば懐かしい初期の日本のロックが聞ける。ただ昔の記憶と違って、「あれっ、こんな曲だったかな」というものもあり、やはり記憶は時間が経つと変容するものだ。
さて、今年も残す所わずかだが、もう一巻くらいは読めそうだ。
今回選んだのは荷兮編の『冬の日』から、「霜月や」の巻。『冬の日』といえば芭蕉七部集の最初の集で、蕉風確立期の初期を代表するものとなっている。
その最初の歌仙は「狂句こがらし」の巻で、「鈴呂屋書庫」の「蕉門俳諧集」にもある解説はかなり前に書いたもので、多分十年くらい前だろう。
「霜月や」の巻はこの『冬の日』の五番目の歌仙で、
田家眺望
霜月や鸛(かう)の彳々(つくつく)ならびゐて 荷兮
を発句とする。貞享元年霜月の興行。
この巻はもちろん『校本芭蕉全集 第三巻』の註もあるし、『連歌俳諧
集』(日本古典文学全集32、1974、小学館)にも収録されている。
さて、前書きに「田家眺望」とあり、おそらく興行された場所から田んぼが見えたのであろう。広い濃尾平野の広大な水田には、ところどころにコウノトリの姿が見えたのだろう。
コウノトリは冬鳥で、かつては日本の水田や河川の至る所に群れを成して飛来したというが、明治の頃に乱獲され、絶滅寸前になったという。芭蕉の頃だと田んぼにコウノトリがあちらこちらにたたずんでいる情景は、田舎のありふれた景色だったのだろう。
もちろんこの句は興行開始の挨拶という意味で、列席した連衆をコウノトリに喩える意味もある。『連歌俳諧集』の註によると、『越人注』に「冬ノ日出来候時十月より十一月迄の間、連中寄合たる下心」とあるという。
近代の評だと実景か比喩かの二者択一みたいになりかねないが、実景を詠みながら、そこに寓意を込めるのは昔の発句では普通のことで、「あれかこれか」ではなく「あれもこれも」で読んだ方が良い。先日「大切の柳」の所でも述べた。
発句の「て」留めに関しては、芭蕉の、
辛崎の松は花より朧にて 芭蕉
の句に先行するもので、式目に発句を「て」で止めてはいけないという規則はないので、長い字余りと同様、式目をかいくぐる面白さというのが当時の流行だったのだろう。まだ去来の言う「基(もとゐ)」が重視されてなかった頃の風だ。
脇は芭蕉が付ける。
霜月や鸛の彳々ならびゐて
冬の朝日のあはれなりけり 芭蕉
軽く朝日を添えて流すが、そこにももちろんこの興行の場所を褒め称える寓意を含んでいる。上句下句合わせて、
霜月や鸛の彳々ならびゐて冬の朝日のあはれなりけり
と和歌のように綺麗につながっている。
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