2018年12月18日火曜日

 「霜月や」の巻の続き。
 第三。

   冬の朝日のあはれなりけり
 樫檜山家の体を木の葉降    重五

 「山家(さんか)」は「やまが」ともいう。山の中にある家や山里のことをいう。
 山地を廻る漂白民のことを「サンカ」ということもあるが、ウィキペディアによると「江戸時代末期(幕末)の広島を中心とした中国地方の文書にあらわれるのが最初である」というから、この時代にサンカがいたかどうかは不明。「明治期には全国で約20万人、昭和に入っても終戦直後に約1万人ほどいたと推定されているが、実際にはサンカの人口が正確に調べられたことはなく、以上の数値は推計に過ぎない。」とウィキペディアにある。
 樫と檜は常緑樹で樫や檜に囲まれた山中の家は隠士の住まいなのかもしれない。

 樫の木の花にかまはぬ姿かな  芭蕉

はこのあと芭蕉が三井秋風の別亭に行ったときに詠むことになる。
 季節に関係なく過ごしているようでも、どこからともなく風に乗って落ち葉が舞い、朝の景色に彩を添え、山家らしい風情になる。
 「降」は「ふり」と読む説と「ふる」と読む説がある。『連歌俳諧集』は「ふり」とし、『校本芭蕉全集 第三巻』は「ふる」とする。「ふる」の方が良いと思う。「木の葉降り冬の朝日のあはれなりけり」と続けると
「あはれ」の原因を説明しているようで理が強くなる。「木の葉降る冬の朝日」と受けた方が良いように思える。
 四句目。

   樫檜山家の体を木の葉降
 ひきずるうしの塩こぼれつつ  杜国

 「ひきずる」については、『校本芭蕉全集 第三巻』は「牛の口をとる。牛が重荷を負って坂を登る体」とし、『連歌俳諧集』では「人が牛の口をとって引きずるようにしているさまと解するが、元来、牛は追うものであるゆえ、従いがたい」とする。
 牛は背中に荷物を乗せる場合が多く、荷物を引きずって運ぶというのは考えられない。車を引くなら分かるが、塩の入った袋や俵を引きずったら破れてこぼれるに決まっているから、そんなことはありそうにない。それに牛を思った方向に歩かせようとすれば、口を取って引っ張るのが普通だと思う。
 前句の「山家」を山村のこととし、山間の道の風景を付ける。長い山道では俵の隙間から少しずつ塩がこぼれてゆく。
 五句目。

   ひきずるうしの塩こぼれつつ
 音もなき具足に月のうすうすと 羽笠

 「具足」はウィキペディアによれば、

 「日本の甲冑や鎧・兜の別称。頭胴手足各部を守る装備が「具足(十分に備わっている)」との言葉から。」

だという。
 夜中に具足を着た連中がこっそりと塩を運ぶというのは、「敵に塩を送る」ということか。
 六句目。

   音もなき具足に月のうすうすと
 酌とる童蘭切にいで      埜水

 「埜水」は野水に同じ。
 「蘭」は古代中国で言う「蘭草」つまりフジバカマのことか。乾燥させると良い香りがするという。
 前句の「音もなき」を酔いつぶれて寝静まった兵のこととし、その間に酌をしていた童は香にする蘭を切りに行く。
 いくさの場を離れるために、あえて蘭を出して、次の展開を図ったといえよう。

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