2018年12月5日水曜日

 昔はマイノリティというのは資本主義から疎外(仲間はずれに)された人たちということで、資本主義をぶっ潰すための革命の主体として、資本主義から隔離して保護すべきものとするような風潮があった。
 今は違う。仲間はずれにされてたのなら、仲間に入れてやれば良い。マイノリティーの経済的自立を助け、企業や投資への参加を推進し、マイノリティー市場を作り出すことで経済の発展や生産性の向上に役立てることができる。それは結局社会全体の豊かさにつながる。
 野党の「性的指向又は性自認を理由とする差別の解消等の推進に関する法律案」はどちらに向うものなのか、しっかり見てゆく必要がある。ざっと見た感じではこの法案は「LGBT=労働者」という視点に偏りすぎているように思える。
 また、LGBTについての社会の認知を深めるには学者が一方的に教条を押し付けるような研修制度ではなく、むしろエンターテイメントとしてのLGBTあるあるを広める方がいいのではないかと思う。同様に障害者あるあるや在日あるあるなど、楽しめる内容でお互いの立場が分かるようなことができれば良いと思う。

 では「野は雪に」の巻の続き。
 八十三句目。

   討死せよと給う腹巻
 防矢を軍みだれの折からに 正好

 「坊矢(ふせきや)」はweblio古語辞典によると、

 「敵の襲来を防ぎとめるために矢を射ること。また、その矢。◆後に「ふせぎや」とも。」

とある。
 これは退却する時の殿(しんがり)のことであろう。殿(しんがり)はウィキペディアに、

 「本隊の後退行動の際に敵に本隊の背後を暴露せざるをえないという戦術的に劣勢な状況において、殿は敵の追撃を阻止し、本隊の後退を掩護することが目的である。そのため本隊から支援や援軍を受けることもできず、限られた戦力で敵の追撃を食い止めなければならない最も危険な任務であった。」

とあるように、この大役を命ずる時に「討死せよと給う腹巻」ということになる。
 八十四句目。

   防矢を軍みだれの折からに
 いとも静な舞の手くだり  蝉吟

 本来風流とは言えないいくさネタが二句続いたので、ここでガラッと場面を変える必要がある。このあたりの運座の呼吸は見事だ。芭蕉も蝉吟の運座から多くのことを学んだだろうし、良い師匠にめぐり合えたということがこの百韻からも伝わってくる。
 これは謡曲「吉野静」の本説で、「宝生流謡曲名寄せのページ」というサイトの「吉野静」の「あらすじ」にこうある。

 「梶原景時の讒言によって兄頼朝の勘気を蒙ってしまった源義経は、大和国吉野山に暫く身を隠していましたが、吉野山の衆徒の心変わりから山を落ち延びることになりました。一人防ぎ矢を仰せつかった佐藤忠信は、山中で偶然に静御前とめぐり会い、二人で吉野山の衆徒を欺いて義経を落ち延びさせようと相談をします。 忠信は都道者(みやこどうしゃ)の姿に化して大講堂での衆徒の詮議の様子を窺い、衆徒の中へ分け入って頼朝・義経の和解の噂や義経の武勇などを語って義経追撃の鉾先を鈍らせます。 そこに静が忠信との打合せ通り舞装束で現れ、法楽の舞を舞い、なお義経の忠心や武勇を語ります。衆徒は、義経の武勇を恐れるとともに静の舞のあまりの面白さに時を移し、ついに一人として義経を追う者はなく、義経は無事に落ち延びることができたのでした。」

 この頃の本説付けはほとんど原作そのまんまで、少し変えるということをしていない。
 「いとも静な」はもちろん静御前と掛けている。
 八十五句目。

   いとも静な舞の手くだり
 見かけより気はおとなしき小児にて 宗房

 さて、ここでは静御前のことは忘れて、小児(こちご)を登場させる。稚児ネタはやはりこの頃から芭蕉の得意パターンだったか。
 goo辞書の「デジタル大辞泉(小学館)」には小稚児は、

 小さい子供。
 「年十五、六ばかりなる―の、髪唐輪 (からわ) に上げたるが」〈太平記・二〉

とある。満年齢だと十四、十五の少年ということか。
 普段はいかにもやんちゃな男の子でも、舞となると人が変わったように凛々しく舞う。そのギャップ萌えというべきか。
 「おとなし」は「大人し」で大人びてるという意味。
 八十六句目。

   見かけより気はおとなしき小児にて
 机ばなれのしたる文章   一笑

 「机ばなれ」は『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、

 「机とは学習机をさし、書や文章などの完成して一人前になること。」

とある。
 前句の「大人(おとな)し」を舞ではなく書の才能とした。

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