2018年12月23日日曜日

 政治の話をタブーとする人もいるようだが、別に俳諧研究者が政治を語っても良いと思う。アイドルだって芸人だって作家だって漫画家だって一緒だ。気軽に政治を話せる社会が良いと思う。
 ただ、それをあまり作品に持ち込まれてしまうと、結局笑う人と怒る人との分断を産み、作品そのものが広く大衆にいきわたらなくなる。それは作家の自己責任だと思う。
 沖縄の基地問題というのは、基本的には戦後の東西冷戦構造下で、あそこが中国・北朝鮮・ソ連・北ベトナムを見据えた前線基地になってしまったからだ。
 だから、沖縄の基地をなくすには簡単に言えば、冷戦を終らせれば良いということになる。
 ソ連が崩壊し、ロシアになってからはアメリカとロシアの対立はかなり和らいだ。ベトナムも緩やかな体制になり今は危険はない。後は中国の海洋進出と北朝鮮問題が片付けば、あそこに米軍がいる必要もなくなるし、基地問題は自ずと解決することになる。アメリカだってコストが馬鹿にならないから、早く引き上げたい所だろう。
 基本的には中国と北朝鮮に民主化と経済開放を求めてゆくことが大事で、それ以外の基地問題の解決策は、結局はその場しのぎのものにすぎない。基地をどこかに移転したとしても、結局移転先で同じ問題が繰り返されるだけだ。
 世界が平和になれば基地問題は解決する。子供でも分かることだ。そのために何をしなくてはならないか、敵を見誤らないことだ。

 それでは「霜月や」の巻の続き。
 二の懐紙に入る。十九句目。

   篭輿ゆるす木瓜の山あい
 骨を見て坐に泪ぐみうちかへり 芭蕉

 「坐」は「そぞろ」で「漫」という字を書くことも多い。
 いわゆる「野ざらし」だろうか。行き倒れになった旅人の骨が落ちていて、思わず駕籠から降りて涙ぐむ。
 二十句目。

   骨を見て坐に泪ぐみうちかへり
 乞食の蓑をもらふしののめ   荷兮

 昔は人が死ぬと河原にうち捨てて葬った。そこで永の別れとばかり大声で泣く。韓国の「アイゴー」のように、かつての日本人は大声で泣いた。
 河原にはそうした遺体を処理する被差別民が住んでいて、「河原乞食」とも呼ばれていた。処理してもらう代金にと新しい蓑を与えたのであろう。
 しののめというと、

 あづまののけぶりの立てる所みて
     かへり見すれば月かたぶきぬ
              柿本人麻呂(玉葉集)

の歌も思い浮かぶ。「けぶり」おそらく火葬のものであろう。西に渡る月に無常が感じられる。この歌を「ひむかしの野にかげろひのたつ見へて」と訓じるのは、賀茂真淵以降のこと。
 二十一句目。

   乞食の蓑をもらふしののめ
 泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て 杜国

 哀傷の句が二句続いた所で、ここでガラッと気分を変えたいところだ。
 洪水の後だろうか。泥の上で思いがけず大きな鯉を拾ったが、どうやって持って帰ろうかと思っていると、親切な河原乞食の人が「これで包んでいけや」と蓑を貸してくれた。
 二十二句目。

   泥のうへに尾を引鯉を拾ひ得て
 御幸に進む水のみくすり    重五

 鯉は龍の子ともいわれる吉祥で、御幸の献上品にふさわしいものの、何分生ものだから天子様に何かあっては一大事と、水飲み薬も添えて差し出す。
 二十三句目。

   御幸に進む水のみくすり
 ことにてる年の小角豆の花もろし 野水

 「小角豆」はササゲと読む。ウィキペディアには「日本では、平安時代に『大角豆』として記録が残されている」ともいう。赤飯にも用いられる。薄紫の豆の花を咲かせる。
 ただ、今年は特に旱魃がひどく、丈夫なササゲも元気なく花ももろく散ってしまう。
 そんな状況を視察に来たのだろうか。天子様に奉げるようなものもなく、水飲み薬を献上する。ササゲは「奉げる」に掛かる。
 二十四句目。

   ことにてる年の小角豆の花もろし
 萱屋まばらに炭団つく臼    羽笠

 「炭団(たどん)」はコトバンクの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説」に、

 「木炭の粉末を主原料とする固形燃料の一つ。木炭粉にのこ屑炭,コークス,無煙炭などの粉末を混合し,布海苔,角叉,デンプンなどを粘結剤として球形に固めて乾燥させてつくる。一定温度を一定時間保つことができるのが特徴で,火鉢,こたつの燃料として愛用され,またとろ火で長時間煮炊きするのに重用された。」

とある。昔は墨の粉を集めて自分の家でそれを臼で搗いて作って、火燵や火鉢に使っていたようだ。

0 件のコメント:

コメントを投稿