2018年12月20日木曜日

 「霜月や」の巻の続き。
 十一句目。

   茶に糸遊をそむる風の香
 雉追に烏帽子の女五三十    野水

 前句をお茶会の場面として女の集まりへと展開したのだろう。お茶会といっても茶道のようなあらたまった席ではなく、要するに茶飲み話をする会だろう。男ならすぐに酒盛りということになるが、お茶だから女という連想になる。
 「雉追(きじおい)」はよくわからないが「鳥追い」の一種だろうか。「鳥追い」はweblio辞書の「三省堂 大辞林」に、

 「①  田畑に害を与える鳥獣を追い払うこと。また、そのしかけ。かかしなど。
 ②  田畑の害鳥を追おうとする小正月の行事。子供たちが鳥追い歌をうたって家々を回ったり、田畑の中に仮小屋を作り、鳥追い歌をうたいながら正月のお飾りを焼いたりする。鳥追い祭。」

とある。②に近いもので特に正月に関係のない行事を想定したものではないかと思う。
 女の烏帽子は白拍子と思われる。
 「五三十」は『連歌俳諧集』の注に「初め五人位とみたら三十人もいたとの意か」「あるいは五、六十の誤記かとも考えられる」とあるが、いくらなんでもそれじゃ多すぎるだろう。
 こどもが十を数える時に関東では「だるまさんがころんだ」(関西では「ぼうさんがへをこいた」)というが、それをずるして早く数える時に「みなと」と使った。三七十のこと。五三十もそのようなもので、ここに五人、あそこに三人、それにまだいるから全部で十人、というくらいの意味ではないかと思う。
 十二句目。

   雉追に烏帽子の女五三十
 庭に木曾作るこひの薄絹    羽笠

 「木曾作る」は謎だが、前句の女が白拍子だとしたら、檜舞台のことか。薄絹を着て恋の舞を舞う。
 十三句目。

   庭に木曾作るこひの薄絹
 なつふかき山橘にさくら見ん  荷兮

 夏に咲かない桜は似せ物の桜、桜のように華やかなものを見に行こう、ということか。夏に咲くのは女性の薄絹の花。
 十四句目。

   なつふかき山橘にさくら見ん
 麻かりといふ哥の集あむ    芭蕉

 歌集のタイトルとしては「〇〇集」のようなものが多く、大体は漢語で「あさかり」のような大和言葉のタイトルはあまりないように思える。
 ただ芭蕉の晩年の話になるが『去来抄』には「去来曰、浪化集(らふくゎしふ)の時上下を有磯海(ありそうみ)・砥波山(となみやま)と号す。先師曰、みな和歌の名所なれば紛し、浪化集と呼べし。」とある。雅語のタイトルは和歌のイメージがあったのかもしれない。
 夏の山にわざわざ桜を求めて分け入る風狂者からの、歌集とかも編纂していそうだということで、後で言う位付けに近いかもしれない。「麻かり」は「浅かり」と掛けて、謙遜の意味を込めているのだろうか。
 なお、寛政五年(一七九三)、芭蕉の百回忌に暁台の門人の士朗が『麻刈集』を編纂している。

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