2018年12月27日木曜日

 さて「霜月や」の巻もあと四句。一気に行ってみよう、
 と、その前に三十二句目だが、「鐘はなをうつ」をついつい「鐘は猶うつ」と読んでしまったが、これは掛詞になっていて「鐘、花を打つ」という両方の意味がある。
 「猶」は「なほ」だが、「なを」と「なほ」の句別はこの頃は曖昧になっていて、両方の意味に取った方がいい。「鐘花を打つ」だけの意味だったら「鐘に花散る」でも十分だったはずだ。鐘の音が方々からいくつも聞こえてきて、そのつど花がはらはらと散ってゆくと取った方がいい。
 あえて「はなをうつ」と仮名で表記しているのもそのためだろう。
 「狂句こがらし」の巻の脇、

   狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉
 たそやとばしるかさの山茶花   野水

の「とばしる」が「とは知る」に掛かるのと同じに考えていい。
 三十三句目。

   伏見木幡の鐘はなをうつ
 いろふかき男猫ひとつを捨かねて 杜国

 伏見は遊郭のあったところで、遊女達が猫を飼っていたのか。盛りがついてうるさいから捨ててこいなんて言われても、捨てられるものではない。
 あるいは駄目な男と分かっていてもついつい腐れ縁になるという、比喩も含んでいるのか。
 三十四句目。

   いろふかき男猫ひとつを捨かねて
 春のしらすの雪はきをよぶ    重五

 自分では捨てられないので白州の庭の雪掻きをする人を呼んできて猫を追い払ってもらう。「白州」はweblio辞書の「三省堂 大辞林」に、「庭先・玄関前などの、白い砂の敷いてある所。」とある。
 前句が「猫の恋」で春なので、「春の」という季語を放り込む。
 三十五句目。

   春のしらすの雪はきをよぶ
 水干を秀句の聖わかやかに    野水

 「水干」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、

 「1 のりを使わないで、水張りにして干した布。
 2 1で作った狩衣(かりぎぬ)の一種。盤領(まるえり)の懸け合わせを組紐(くみひも)で結び留めるのを特色とし、袖付けなどの縫い合わせ目がほころびないように組紐で結んで菊綴(きくとじ)とし、裾を袴(はかま)の内に着込める。古くは下級官人の公服であったが、のちには絹織物で製して公家(くげ)や上級武家の私服となり、また少年の式服として用いられた。」

とある。
 ウィキペディアには、

 「室町時代に入ると貴族にも直垂が広まり、武家も直垂を多用したので、童水干などを除いて着装機会は減少した。近世では新井白石像に水干着装図が見られるなどしばしば用いられたが、幕府の服飾制度からは脱落している。」

とあり、水干は正式な服装ではなく部屋着のようなくだけた場での服装だったのだろう。
 「秀句」はweblio辞書の「三省堂 大辞林」に、

 ①  すぐれた句。秀逸な詩歌。
 ②  和歌・文章・物言いなどにおける巧みな言いかけ。掛け詞・縁語な

ど。すく。 「 -も、自然に何となく読みいだせるはさてもありぬべし/毎月抄」
 ③  軽口(かるくち)・地口(じぐち)・洒落(しやれ)など。すく。 「 -よくいへる女あり/浮世草子・一代男 1」

とある。
 ①は元の意味であるとともに今の意味といってもいい。要するに「秀逸な詩歌」というのがどういうものであるかはその時代の価値観に左右さるもので、連歌や俳諧(特に貞門)で秀逸というのは基本的に②だった。それが江戸時代に大衆化したときに③の意味になったと思われる。
 近代では「傑作」という言葉が、一方では優れた芸術作品を表すのに用いられるが、一方ではギャグ漫画や笑い話の面白いネタに対しても「そいつは傑作だ」というふうに用いられる。それに似ている。
 「聖(ひじり)」今日で「神」と称されるのと同様、その道の名人のことをいう。芭蕉は「俳聖」と呼ばれ、同時代の本因坊道策は「棋聖」と呼ばれた。この種の称号はピンからキリまであり、いつも面白い話をしてくれる人程度でも「秀句の聖」と呼ばれることもあったと思われる。
 「わかやか」は若々しいということ。水干姿の若々しい秀句の聖というのは、実は雪掃きの少年のもう一つの姿なのではないかと思う。
 挙句。

   水干を秀句の聖わかやかに
 山茶花匂ふ笠のこがらし     羽笠

 「狂句こがらし」の巻の脇、

   狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉
 たそやとばしるかさの山茶花   野水

を思い起こし、『冬の日』五歌仙の最後を締めくくる。

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