「野は雪に」の巻の続き。
六十九句目。
何の風情もなめし斗ぞ
お宿より所替るが御慰 蝉吟
「お宿(やど)」は、『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に、「平生のお住まい」とある。
「御慰(おなぐさみ)」はweblio辞書の「三省堂 大辞林」によると、
「その場に興を添えること。人を楽しませること。座興。 「うまくできましたら-」 「是はやり損ふ事もまゝあるが、首尾よく行くと-になる/吾輩は猫である 漱石」 〔失敗するかもしれないことをにおわせて、皮肉やからかいの気持ちで使うことも多い〕」
とのこと。
この場合も皮肉の意味で用いている。外泊して何か珍しいものでも出るかと思ったら、どこにでもある菜飯で御慰み。
七十句目。
お宿より所替るが御慰
野山の月にいざとさそえる 一以
これは皮肉ではなく一興という意味。
七十一句目。
野山の月にいざとさそえる
秋草も薪も暮れてかり仕舞 正好
秋草はここではススキだろう。茅を刈ったり薪を取ったり野山の仕事も忙しいが、日が暮れれば終了。「かり仕舞」は「仮仕舞」と「刈り仕舞」の両方に掛かる。
さあ仕事も終わったし、野山は今度は月の出番だよ、というところか。
七十二句目。
秋草も薪も暮れてかり仕舞
肌寒さうに年をおひぬる 一以
前句を貧しい老人の句とした。「老いる」と掛けているが、「薪」に「おふ(負ふ)」は受けてには。
七十三句目。
肌寒さうに年をおひぬる
川風に遅しと淀の船をめき 一笑
「をめき」は喚(わめ)きと同じ。船を大声で呼ぶことをいう。風で押し戻されてしまうのか、船がなかなか来なくて、ついつい大声になる。そうでなくとも年を取ると耳が遠いもんだから声が大きくなるものだ。
七十四句目。
川風に遅しと淀の船をめき
久しぶりにて訪妹が許 蝉吟
大声で船を呼ぶのを女の許(もと)を訪ねるためとする。ついつい気が急いて船が遅く感じられる。
『校本芭蕉全集 第三巻』(小宮豐隆監修、一九六三、角川書店)の注に引用されている、
思ひかね妹がりゆけば冬の夜の
河風さむみ千鳥なくなり
紀貫之(「拾遺集」)
の歌は證歌といっていいだろう。
七十五句目。
久しぶりにて訪妹が許
奉公の隙も余所目の隙とみつ 宗房
当時は芭蕉も蝉吟のところの奉公人だったが、今みたいな休暇はほとんどなくても仕事の合い間合い間に暇ができたりすることはあっただろう。そういう時には俳諧を楽しんだりもしたか。
もっともたいていの奉公人は、そんな渋い趣味を楽しむよりは、女の許にせっせと通っていたのではないかと思う。「余所目」は「よそ見」の意味もある。妹というのは浮気の相手か。
突飛な空想も芭蕉ならではのものだが、こういう妙にリアルなあるあるネタを持ち出すのも芭蕉の持ち味で、豊かな想像力とリアルな感覚の同居が芭蕉の作品に幅を持たせているといっても良いだろう。
七十六句目。
奉公の隙も余所目の隙とみつ
こよと云やりきる浣絹 正好
「浣絹」は「あらひきぬ」。絹は洗うと縮むので板の上に伸ばした乾かしたり、伸子張りという竹の棒を何本も弓のようにして伸ばしたり、大変だったようだ。
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