今日は十二月とは思えない暖かさだった。風は強いが木枯しではなく春風のようだった。
温まって蒸発した海水が夜になって冷やされるせいか、夜から朝に掛けて雨が降ることが多い。今も雨が降りだした。
それでは「野は雪に」の巻の続き。
七十七句目。
こよと云やりきる浣絹
一門に逢や病後の花心 一以
病み上がりで一門の前に顔を見せるということで、洗ったばかりの着物を着る。
「花心」は正花だが、いわゆる「にせものの花」、比喩としての花になる。
連歌の式目「応安新式」では花は一座三句者で、その他ににせものの花を一句詠めることになっている。各懐紙に花の定座の習慣が定着しても、おおむねにせものの花一句のルールに従う場合が多い。花の句が同じような句にばかりならないよう変化をつける意味もある。
七十八句目。
一門に逢や病後の花心
かなたこなたの節の振舞 一笑
この場合の「節(せち)」は正月のこと。前句の花が桜でないので正月でもいい。
「かなたこなた」ということで、一門はたくさんあり、あちらこちらで一門が集まっている。
名残の懐紙に入る。
七十九句目。
かなたこなたの節の振舞
とし玉をいたう又々申うけ 蝉吟
お年玉は今では子供が貰うものになっているが、昔は大人同士の贈答の習慣で、主人や師匠の元に年始参りに土産を持ってゆき、お年玉を貰って帰るものだったようだ。ウィキペディアには、
「年玉の習慣は中世にまでさかのぼり、主として武士は太刀を、町人は扇を、医者は丸薬を贈った。」
とある。
この句の場合「申し請け」だからお年玉用の大量の扇の発注でも請けたのであろう。それゆえ「かなたこなた」につながる。
八十句目。
とし玉をいたう又々申うけ
師弟のむつみ長く久しき 宗房
「申しうけ」は単に受け取るという意味もある。weblio辞書の「三省堂大辞林」には、
①願い出て引き受ける。受け取る。 「送料は実費を-・けます」 「 - ・けたまへるかひありてあそばしたりな/大鏡 師尹」
②お願いする。願い出る。 「義経が-・くる旨にまかせて,頼朝をそむくべきよし庁の御下文をなされ/平家 12」
③招待する。 「近日一族衆を-・けて,振舞はうと存ずる/狂言・拾ひ大黒 三百番集本」
とある。
これは遣り句といって良いだろう。話題を変えたいところだ。
八十一句目。
師弟のむつみ長く久しき
盃はかたじけなしといただきて 一笑
これは打越の「申し受け」に「いただきて」で、お年玉を酒に変えただけで輪廻気味の句だ。せっかくの芭蕉の遣り句が生きていない。
八十二句目。
盃はかたじけなしといただきて
討死せよと給う腹巻 一以
これも「いただきて」にまた「給う」で贈答の場面を引きずっている。しかも「討死」は穏やかでない。
「腹巻」はここでは今日のような防寒用のものではなく武具の腹巻を言う。ウィキペディアには、
「腹巻は鎌倉時代後期頃に、簡易な鎧である腹当から進化して生じたと考えられている。徒歩戦に適した軽便な構造のため、元々は主として下級の徒歩武士により用いられ、兜や袖などは付属せず、腹巻本体のみで使用される軽武装であった。しかし、南北朝時代頃から徒歩戦が増加するなど戦法が変化すると、その動きやすさから次第に騎乗の上級武士も着用するようになった。その際に、兜や袖・杏葉などを具備して重装化し、同時に威毛の色を増やすなどして上級武士が使うに相応しい華美なものとなった。 南北朝・室町期には胴丸と共に鎧の主流となるが、安土桃山期には当世具足の登場により衰退する。江戸時代になると、装飾用として復古調の腹巻も作られた。」
とある。
この場合の酒をふるまわれて良い気持ちになっているとそこが罠で、一緒に戦ってくれと腹巻を下賜される。
芭蕉の死後に許六が去来に、
「予短才未練なりといへども、一派の俳諧におゐては大敵をうけて一方の城をかため、大軍をまつ先かけ一番にうち死せんとするこころざし、鉄石のごとし。‥‥(略)‥‥願はくは高弟、予とともにこころざしを合せて、蕉門をかため、大敵を防ぎ給へ。」
と言っていたのを思い出す。さすがに去来はこの腹巻を断ったが。
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