いわゆる西高東低の冬型の気圧配置というのか、晴れているが北風が冷たい。日本海側では大雪で帰省する人も大変だ。
箱根こす人も有るらし今朝の雪 芭蕉
の句も思い浮かぶ。
鯨の句は付け句の方も調べているが、なかなか見つからない。
取りあえず二句見つけた。
納戸の神を斎し祭ル
煤掃之礼用於鯨之脯 其角
の句は延宝九年の『次韻』の句。
なんどのしんをものいみしまつる
すすはきのれいにくじらのほじしをもちふ
と読むらしい。(『校本芭蕉全集 第三巻』による)
「脯(ほしし)」はweblio辞書の「歴史民俗用語辞典」に、「干した鳥獣などの肉。」とだけある。
「納戸の神」はコトバンクの「精選版 日本国語大辞典の解説」に、
「寝室や物置に使う納戸にまつる神。西日本に多いが、関東や東北にも点在する。女の神で作神様と考えられているものが多い。納戸神。」
とある。「納戸神」だと、「デジタル大辞泉の解説」に、
「納戸にまつられる神。恵比須(えびす)や大黒(だいこく)などが多くまつられたが、隠れキリシタンは聖画像をまつった。」
とあり、「世界大百科事典 第2版の解説」には、
「納戸にまつられる神。納戸はヘヤ,オク,ネマなどと呼ばれ,夫婦の寝室,産室,衣類や米びつなどの収納所として使われ,家屋の中で最も閉鎖的で暗く,他人の侵犯できない私的な空間である。また納戸は女の空間でもあり,食生活をつかさどるシャモジとともに,衣料の管理保管の場所である納戸の鍵も主婦権のシンボルとされていた。納戸神をまつる風習は,兵庫県宍粟郡,鳥取県東伯郡,岡山県真庭・久米・苫田・勝田郡,島根県の隠岐島一帯,長崎県五島などに濃く分布し,家の神の古い形を示すものとされている。」
とある。
煤掃きは年末の大掃除で「煤払い」と同じだが、その時に鯨の干物を供える風習が本当にあったかどうかは定かでない。何分次韻調だけに、奇抜な空想を楽しんだだけかもしれないからだ。炭俵調だったなら、当時はこういうのがあったんだなという所だろうが。
ただ、明和天命期の大晦日の鯨汁に何か通じるものはあるのかもしれない。
もう一句は芭蕉の『野ざらし紀行』の旅の途中、『冬の日』の名古屋での風吟の直後で、
尾張の国あつたにまかりける比、人々師走の
海みんとて船さしけるに
海くれて鴨の声ほのかにしろし 芭蕉
の発句に付けた脇で、
海くれて鴨の声ほのかにしろし
串に鯨をあぶる盃 桐葉
海辺での野営を思わせる句に、豪快に鯨のバーベキューで一杯というわけだ。
熱田の海岸では鯨も食べていたのかもしれない。ただ、この句から日常の食事の感じはしない。
鯨は日本の文化だとはいうが、日本の文化に占める鯨の割合は微々たる物だ。それは鯨を詠んだ句を探すのに苦労するところからもわかる。
ただ、日本には一部の高等動物だけを「知性がある」という理由で特別視する思想はない。生類は大体一律に大切にすべきものだとされている。「鯨が可哀相だというなら牛は可哀相ではないのか」という日本人は多いのもそのためだ。これは人工的に再生産可能なものとそうでないものを混同しているので、牛をロブスターとかに置き換えた方が良いのかもしれない。まあ、最近西洋ではロブスターどころか過激なビーガンがすべての生類を食べるのをやめさせようとしているが。
まあ、近代捕鯨はとっくに時代遅れだし禁止しても良いと思う。ただ、世界各地の伝統的な沿岸捕鯨に関しては残しても良いのではないかと思う。
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