「霜月や」の巻。とにかくゆっくり進めて行こうと思う。
初裏。
七句目。
酌とる童蘭切にいで
秋のころ旅の御連歌いとかりに 芭蕉
「御連歌」は宮中で行われる連歌や将軍の主催するものなど、かなり格式の高いものを連想させるが、「旅の」となるとそれがミスマッチな感じがする。
「いとかりに」というのも「かりそめに」というところをわざと拙い言い回しをしたみたいで、これは本物の貴人(あてびと)ではなく、単に貴人を気取っている人の連歌会なのかもしれない。
八句目。
秋のころ旅の御連歌いとかりに
漸々はれて富士みゆる寺 荷兮
字体が紛らわしく、「漸々(ようよう)」と読む説と「漸(ようや)く」と読む説とある。意味はそれほど変わらない。
前句の貴人の連歌会の会場を富士の見える寺とした。連歌会はお寺で行われることが多かった。
九句目。
漸々はれて富士みゆる寺
寂として椿の花の落る音 杜国
山茶花は一枚一枚ひらひらと散るが椿はぼとっと落ちる。その音が聞こえるくらい静かな寺という意味。
散る花の音聞く程の深山かな 心敬
の連歌発句に似ているが、椿の方が本当に音が聞こえそうだ。
十句目。
寂として椿の花の落る音
茶に糸遊をそむる風の香 重五
「糸遊(いとゆう)」は結構厄介な題材で、陽炎(かげろう)のことだというが、今日知られている陽炎はかなり高温のときに発生するもので、春に見たことがない。野焼きなどの時なら分かる。
曲亭馬琴編の『増補俳諧歳時記栞草』の「糸遊」の所には、
「野馬塵埃也。生物以息吹者也。稀逸註云、野馬糸遊也。水気也。○杜詩、落花糸遊白日静。○かげろふ・糸遊一物にて、糸遊は異名也。」
とある。
また、「陽炎」のところには、
「陽炎・糸遊、同物二名也。春気、地より昇るを陽炎或はかげろふもゆるともいひ、空にちらつき、又降るをいとゆふといふなり。」
とある。 いくつかの現象が「糸遊・陽炎」という言葉で一緒くたにされ
ている可能性もあり、
古典に登場する時は、いくつかの現象が「糸遊・陽炎」という言葉で一緒くたにされている可能性もある。
「落花糸遊白日静」の句は『杜律集解』巻六にあるらしいが、前句の「寂として」「花の落る」に「糸遊」を付けているところから、この句が意識されていた可能性はある。
茶の湯気が糸遊を染めているかのような風の香がするというのが句の意味。
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