2018年6月1日金曜日

 今日は予報どおり晴れた。午後から雲が多くなった。
 それでは「幻住庵記」の続き。

 このあたりは「幻住庵ノ賦」だと、まず「山は未申にそばだち、人家よきほどに隔たり、南薫峰よりおろし、北風湖を侵して涼し。」の部分は最初に幻住庵を紹介する所にあった。
 「山はさすがに深からず、人家よき程にへだたり、石山を前にあてて、岩間山のしりへにたてり。南薫高く峯よりおろし、北風はるかに海をひたして涼し。おりしも卯月のはじめなれば、つつじ咲‥‥」
 このあと、比叡、比良、辛崎は一緒で、そのあとに「膳所の城は木ノ間にかがやき、勢田のはしに雨晴ては、粟津の松ばらに夕日を残す。」と続く。この辺は「城あり、橋あり、釣たるる舟あり」と大幅に省略されてしまった。その替りに笠取山、田植え歌、蛍、水鶏などが付け加えられる。
 そして三上山から田上山、ささほが嶽、千丈が峰、袴腰は同じで、その後にあった笠取山が削られて「釣たるる舟あり」の後へと移動する。
 『芭蕉文集』(日本古典文学大系46、一九五九、岩波書店)の注の「幻住庵ノ賦」の千丈が峰の所に、「千頭が嶽」とある。太神山(たなかみやま)ととそのあとに黒津の里が出てくるので、南東の方角を探してそれらしき山が見つからなかったが、千丈が峰は幻住庵の西にあった。確かに千丈川はこのあたりを水源としている。
 何でこんな方向違いの山が並列されたかというと、この位置に「笠取山に笠はなく、黒津の里人の色くろかりけむ」と続くと、南西に位置する笠取山が入るため、南東に限らない広い範囲の記述になるため、千頭が嶽が入ってもそれほど違和感はない。笠取山が始めのほうへ移動したため、千頭が嶽だけが浮いてしまったといっていいだろう。

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