米朝首脳会談、今回はまだ顔見世というところかな。この流れを途切れさせないためには、今後のスピーディーな展開が要求されるし、最終的には彼岸の南北統一にもっていって欲しい。まあ、北朝鮮内部にも北朝鮮という国がかたくなに守ろうとする勢力は入るし、日本にだって反米の最後の砦を守れという声はある。だが、そこは夢の国ではない、現実のことも忘れないで欲しい。
ところでRADWIMPSはラジオで「へっくしゅん」を聞いた頃から好きなバンドで、二〇〇五年九月三日のセプテンバーさんのコンサートに行ったのは良い思い出だ。
今度の曲、カタルシストはフジテレビ系のロシアワールドカップのテーマ曲で、そのカップリング曲のHINOMARUも基本的には応援歌だ。
「胸に手をあて見上げれば、高鳴る血潮、誇り高く」のフレーズは誰しも試合開始前のあの胸に手を当てて国家を歌う場面を想像するだろう。
サビの部分の「どれだけ強き風吹けど、遥か高き波がくれど」が、毎年のように日本を襲う台風と、東日本大震災の津波のことだというのは日本人ならすぐにわかることだ。この歌はサッカーに限らず、震災復興の応援歌でもある。
一部の心ない人たちが歌詞を変な風に曲解して騒ぎ立てているのは残念なことだ。
ネットで見た辻田何ちゃらの説も、こんな読解力皆無でよく文筆家なんて名乗れるのか不思議だ。口語と文語がごっちゃになっていることをディスってるが、たまたま少しくらい文語を知ってるからって得意になられても困る。
口語の中に文語の文章を挟んだりその逆をしたりするのは、江戸時代の俳文の雅語と俗語をまぜこぜにして書いた頃からの伝統で、今日のJ-popの歌詞では何ら珍しいことではない。サザンの「愛の言霊」の歌詞でも読んで見ればいい。
和文、漢文、俗文を区別せずに一つの文章の中に取り入れたことが、後に明治になって西洋の語彙を取り入れるのに重要な役割を果たしたことを考えると、今日の日本の繁栄のもとはこうした色々な文体を貪欲に吸収できる日本の雅俗混淆の文体にあったのではないかとすら思える。
その雅俗混淆の文体、俳文の誕生の瞬間を、今まさに「幻住庵記」や『嵯峨日記』に見ようとしている。
そういうわけで、昨日は暮に去来がやってきた所で終わった。ここから去来が時間を得て、芭蕉が時間を失うことになる。
「乙州ガ武江より帰り侍るとて、旧友・門人の消息共あまた届。其内曲水状ニ、予ガ住捨し芭蕉庵の旧き跡尋て、宗波に逢由。
昔誰小鍋洗しすみれ草」
乙州(おとくに)は近江の人で、智月の弟。幻住庵の頃から芭蕉の世話をしていた。その乙州が江戸から帰り、江戸の門人の消息を色々と持ち帰ってくれた。その中に曲水からの手紙があった曲水は芭蕉の幻住庵を提供したその人だ。膳所藩の家臣だが、江戸で勤務していた。元禄二年の暮には膳所にいて幻住庵提供の話が出ていたが、その後まもなく江戸に下り、この頃もまだ江戸にいた。
その曲水が、雛の家になった第二次芭蕉庵を訪ねたのであろう。宗波は本所定林寺の住職だという。『鹿島詣』に同行した「水雲の僧」だ。
昔誰(たが小鍋洗(あらひ)しすみれ草 曲水
の句は『猿蓑』入集のときには、
菫草小鍋洗しあとやこれ 曲水
になる。
むかし見し妹が垣根は荒にけり
つばなまじりの菫のみして
藤原公実
が元になっているが、ここでは妹ではなく芭蕉さんが鍋を洗った跡ということになる。芭蕉は伊賀藤堂藩の料理人だったこともあり、料理にはうるさかったようだ。牡蠣の季節になるとガラガラと牡蠣を炒る音が聞こえたという。
「妹が垣根」というと、
妹が垣根三味線草の花咲きぬ 蕪村
の句も思い浮かぶ。この句については鈴呂屋俳話2017年12月15日を参照のこと。
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