2018年6月19日火曜日

 今日はこれから日本=コロンビア戦なので早めにアップ。
 『嵯峨日記』四月二十五日。

 「廿五日
 千那大津ニ帰
 史邦・丈艸被訪

   題落柿舎      丈艸
 深對峨峯伴鳥魚 就荒喜似野人居
 枝頭今欠赤虬卵 靑葉分題堪學書

   尋小督墳       同
 強撹怨情出深宮 一輪秋月野村風
 昔年僅得求琴韻 何処孤墳竹樹中

 芽出しより二葉に茂る柿の実  史邦

   途中吟
 杜宇啼や榎も梅櫻    丈艸

   黄山谷之感句
 杜門覔句陳無己 對客揮毫秦少游」

 二十四日の記述はなく、二十五日に飛ぶ。「千那大津ニ帰」とあるから、前日に千那が来たのか。入れ替わりに史邦と丈艸(丈草)が尋ねて来る。
 その丈草が漢詩を二首残してゆく。一つは、

   題落柿舎      丈艸
 深對峨峯伴鳥魚 就荒喜似野人居
 枝頭今欠赤虬卵 靑葉分題堪學書

 よく見れば峨峯には鳥や魚がいて
 荒れてくれば田舎物の家に似てくるのを喜ぶ
 枝の先には今は赤い龍の卵はなく
 青葉が題を分かち我慢して書を学ぶ

 「深對」は真剣に向きあうという意味だが、それだと重すぎるので「よく見れば」とする。
 「峨峯」は嵯峨の山で小倉山のことか。嵯峨という地名から四川の峨眉山を連想したのかもしれない。ただ、山の高さは大分違う。
 「伴鳥魚」は鳥や魚と一緒ということで、自分と一緒というよりは山に一緒にいるという意味だろう。
 「就荒」は就職が職に就くことを言うように、荒れた状態に就くということ。「野人」の「野」は「雅」に対しての言葉で、野卑な田舎物という意味。
 「赤虬」の虬は日本では「みづち」と訳されるが、龍の一種。柿の実をレッドドラゴンの卵に喩えて言っているのだろう。
 最後の一行は意味がよくわからない。せっかく来たのに柿の実がなかったので、柿の青葉を題材にして何とか漢詩を書いてみたということか。
 思い切って韻を踏んで超訳すると、

 よく見りゃ嵯峨の峯鳥や魚が一緒
 荒れ放題で田舎もんの家になるのも一興
 柿の枝にレッドドラゴンの卵はなくて
 せめては青葉を題に詩を作り書を学びましょ

てな感じか。

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