今日も暑い日が続く。梅雨明けも近いのか。
夜には朧ながら月も見えた。五月も満月が近い。
五月雨やある夜ひそかに松の月 寥太
の句が思い起こされる。こちらは大島寥太。大島僚太だと日本代表のサッカー選手になる。今回のワールドカップではまだ出番がない。
では『嵯峨日記』へ、
まず「心神相交時は夢をなす。」だが、これはやや仏教的な言い方だ。
『列子』周穆王篇には「神遇為夢、形接為事。故晝想夜夢、神形所遇。」とある。人間の思考は感覚によって捉えられた物的対象があれば「想」となり、感覚が遮断されて対象から切り離されれば「夢」となる。感覚が遮断されても猶残る脳の活動を「神」と呼ぶのであれば、列子のこの言葉はなかなか科学的だ。
ただ、「神」といえば、『易経』の「陰陽不測、これを神という」の神概念もあり、いわば人智を超えたものはすべて神であり、人間の脳の活動も、それ自身は直接認識することができず、思考にしても幻想にしても何らかの活動の結果を認識できるにすぎない。その意味では「神」であり、近代には西洋のスピリットを「精神」と訳しているし、ニューロンは「神経」と訳している。自覚的に捉えることができないからだ。
哲学で言う現象学的還元は、思考を対象から切り離して純粋な思考そのものを明らかにしようとしたが、沈黙以外の何も得られなかった。ジャック・デリダはこれを太陽に向かって飛び立ったイカロスに喩えている。
これに対して「心神相交時は夢をなす。」となると、心は人間の中にある性や情を併せ持ったものを表し、神は天の側にある。禅などの瞑想によってそれが一致するような印象を与える。
体の中の測り知れないもの(神)は天に通じるもので、そのため夢もまた感覚によって捉えられた対象から切り離されているとはいえ、物の形を借りて現れる。このことを列子は「一體之盈虛消息、皆通于天地、應於物類。」という言葉で表す。
さて、芭蕉に戻るが、「陰盡テ火を夢見、陽衰テ水を夢ミル。」は『列子』周穆王篇の「故陰氣壯、則夢涉大水而恐懼。陽氣壯、則夢涉大火而燔焫。」から来ていると思われる。
体の陰気が尽きるというのは、逆を言えば体の陽気が盛んになることをいう。この時は火の夢を見るという。陽気が衰え陰気が盛んになれば水の夢を見るという。このあたりはあまり科学的ではない。夢判断の類になる。
「飛鳥髪をふくむ時は飛るを夢見、帯を敷寝にする時は蛇を夢見るといへり。」というのも、『列子』周穆王篇の引用で、「藉帶而寢則夢蛇、飛鳥銜髮則夢飛。」から来ている。
「睡枕記、槐安國、荘周夢蝶、皆 其理有テ妙をつくさず。」の「睡枕記」は、岩波文庫の『芭蕉紀行文集』の中村俊定注には『枕中記』の誤りか、とある。『枕中記』はウィキペディアによれば、
「『枕中記』(ちんちゅうき)は、中国・唐代の伝奇小説である[1]。作者は沈既済(しんきせい)。
著者の沈既済は、8世紀後半頃の人である。蘇州呉県(江蘇省蘇州市)の人で、薬を調達する礼部員外郎となった。
主人公の盧生が、邯鄲(河北省邯鄲市)で、道士・呂翁に出会い、枕を授けられる。その枕で眠りについたところが、まだ黍の飯が炊き上がる前に、自分が立身出世を果たし、栄達の限りを尽くして死ぬまでの間の出来事を夢みた。それによって、盧生は人生の儚さを悟った、という話である。
「邯鄲の枕」「黄粱の一炊」「邯鄲の夢」の故事として、広く知られている。また、明代の湯顕祖が著わした戯曲の『邯鄲記(中国語版)』は、この『枕中記』を元にして作られたものである。」
とある。
「槐安國」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「中国、唐の李公佐(りこうさ)の「南柯記」に書かれている、想像上の国。→南柯(なんか)の夢」
とあり、「南柯の夢」は同じくコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」に、
「はかない夢。また、栄華のむなしいことのたとえ。槐夢(かいむ)。槐安の夢。[補説]昔、中国で、淳于棼(じゅんうふん)という人が、酔って古い槐(えんじゅ)の木の下で眠り、夢で大槐安国に行き、王から南柯郡主に任ぜられて20年の間、栄華をきわめたが、夢から覚めてみれば蟻(あり)の国での出来事にすぎなかったという、唐代の小説「南柯記」の故事から。」
とある。
「荘周夢蝶」はいわゆる胡蝶の夢というやつで、『荘子』齊物論第二に、
「昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与。不知周也。俄然覚、則蘧蘧然周也。不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。周与胡蝶、則必有分矣。此之謂物化。」
とある。
まあ、要は夢で胡蝶になってるときは胡蝶である事を疑わず、醒めれば荘周となり、やはりそれを疑わない。生まれ変わるというのはそういうことだ、というわけだ。
「其理有テ妙をつくさず。」という芭蕉の感想は、どれも一理あって不思議だなあ、というところか。別に信じるというのでもなく、世間で言われているのも尤もだくらいのスタンスだろう。
「わが夢は聖人君子の夢にあらず。終日 忘(妄)想散乱の氣、夜陰夢又しかり。」というのは『論語』述而の「子曰、甚矣、吾衰也。久矣、吾不復夢見周公」、いわゆる「夢に周公を見ず」のことで、孔子が周公をたびたび夢に見ていたなどという立派な夢ではなく、ごく普通の夢だということをやや謙遜して言っている。
人が何故夢を見るかについて、現代の科学でもはっきりした答はない。人生が夢だというのはあくまで比喩としても、寝て見る夢は未だに科学で解明できないという点では、「陰陽不測」という意味での「神」が心に現れる現象だといっていいだろう。
それは記憶を整理するためであったり、願望の表れだったりしたとしても、自分ではコントロールすることの困難な、自由にならないものだという点では「神」だ。
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