今日も一日雨が降った。
元禄四年の四月二十二日は「朝の間雨降」とある。前日の夕方に去来も帰り、芭蕉は一人で「幻住庵記」の清書をしている。「けふは人もなく、さびしきままにむだ書してあそぶ。其ことば、」とあり、いわゆる日記と離れて、ここから先は短い俳文になる。
「喪に居る者は悲をあるじとし、酒を飲ものは樂あるじとす。さびしさなくばうからましと西上人のよみ侍るは、さびしさをあるじなるべし。又よめる
山里にこは又誰をよぶこ鳥
獨すまむとおもひしものを
獨住ほどおもしろきはなし。長嘯隠士の曰、客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふと。素堂此言葉を常にあはれぶ。予も 又、
うき我をさびしがらせよかんこ鳥
とは、ある寺に独居て云し句なり。」
ここまでが日記と独立した「むだ書」であろう。
「喪に居る者は悲をあるじとし、酒を飲ものは樂あるじとす。」は『荘子』雑編「漁父」の「飲酒以樂為主,處喪以哀為主」から来ている。
孔子が漁父に学ぶという場面設定は、どこか同時代の『楚辞』の「漁父辞」を思わせる。何か元ネタになる伝承があったのかもしれない。まあ、とにかく酒を飲めば楽しくなり、喪に服すれば悲しくなるのは人間の自然の情だというところだろう。
「さびしさなくばうからましと西上人のよみ侍る」は、
とふ人も思ひ絶えたる山里の
さびしさなくば住み憂からまし
西行法師
という西行の高野山修行時代の歌だという。西行で高野山というと、其角の『猿蓑』の序のときに出てきた『撰集抄』巻五第十五「西行於高野奥造人事」というのがあった。(鈴呂屋俳話2016年11月8日)
寂しさと憂さの関係はこれまでも何度か述べてきたが、浮世の交わりは「憂さ」で、浮世を離れれば「寂しさ」になる。寂しくなる所までいかない隠棲は、
山深き里や嵐におくるらん
慣れぬ住まひぞ寂しさも憂き 宗祇
になる。その西行の歌を引用する。
山ざとに誰を又こはよぶこ鳥
ひとりのみこそ住まむと思ふに
西行法師
「よぶこ鳥」はツツドリのことで、鈴呂屋俳話2016年10月30日を参照のこと。「来よ」と鳴く。独りで寂しく過ごそうと山に籠るのだが、そこでも「来よ」と呼ぶ声がする。
長嘯隠士は戦国武将の木下勝俊で、歌人としては長嘯あるいは長嘯子と呼ばれていた。
鉢叩あかつき方の一こゑは
冬の夜さへもなくほととぎす
長嘯子
の歌から、芭蕉は、
長嘯の墓もめぐるか鉢叩き 芭蕉
の句を元禄二年に詠んでいる。(鈴呂屋俳話2018年1月28日)
その長嘯子は「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなふ」と言ったという。ヤフー知恵袋のlie********さんによると、
「宋の大詩人蘇東坡(蘇軾)が師友の仏印和尚と散歩したとき、蘇東坡が「竹院ニ過テ僧ニ逢テ話レバ 又浮生半日ノ閑ヲ得タリ。」と言うと、仏印は「学士ハ閑半日ヲ得タリ。老僧ハ忙了スルコト半日。」と言ったという故事からきたもの。
また この会話は有名な漢詩 李渉「鶴林寺」を踏まえたものです。」
とある。
題鶴林寺 李渉
終日昏昏醉夢間 忽聞春盡強登山
因過竹院逢僧話 又得浮生半日閑
一日中昏々と酔っ払って夢を見ていたが、
春ももう終るとはっと気付いて山のお寺に行ってみた。
竹林の中の書院で僧と雑談して過ごしたら、
儚い人生の半日ばかり閑をつぶすことができた。
李渉は半日暇つぶしができても、僧はその分自分の時間がなくなったというわけだ。
そしてここで一句。
うき我をさびしがらせよかんこ鳥 芭蕉
これは鈴呂屋俳話2018年5月30日に書いたが、元禄二年秋の九月に、
伊勢の国長島、大智院に信宿す
憂きわれを寂しがらせよ秋の寺 芭蕉
の改作だった。
「幻住庵記」の清書の際、「かつこ鳥我をさびしがらせよ」をカットして、この句を『嵯峨日記』の方に組み込んだのだろう。
このむだ書のあと、日記に戻り、
「暮方去来より消息ス。」となる。
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