今日は午前中が雨で午後からが晴。今夜はセネガル戦だが、明日は仕事だからな、無理かな。
フレデリック・ラルーの『ティール組織』(二〇一八、英治出版)という本を少しづつ読んでいるが、日本はなかなかアンバー組織から抜け出せない。
思うに近代哲学というのもアンバー組織に対応したもので、多様な欲望や感情に単一の理性が君臨するという霊肉二元論は、アンバー組織そのものだ。
だから明治の文明開化で西洋の考え方が入ってきたとき、アンバー組織こそが文明の最高のものだという信仰が出来上がったのかもしれない。社会主義も人権思想も基本的にはアンバー組織に対応している。
中小企業だと日本にはレッドとグリーンの混合型が多いように思える。いわゆる家族的経営というのは、強力な家父長的権威と人情味ある暖かさが共存する。こうした人たちは官僚的なアンバーを嫌う傾向がある。
働き方改革で問題になっている高度プロフェッショナル制度は、将来日本にもティール組織が広がるなら、年収に関係なく認められる必要があるだろう。反対しているのはアンバー命の連中だし。
西洋哲学は理性でもって欲望や感情をコントロールすることを要求するが、これは一方で著しく人間の本来あるべき欲望や感情を抑圧し、凡そ生理的に受け入れられないような行為を「汝なしうる」の名のもとに要求する危険がある。ナチスの狂気も感情の爆発ではなく理性の暴走だったし、ディストピアというのもその危険を警告するものだった。
さて『嵯峨日記』の続き。
四月廿五の条は更に続く。
「乙州来りて武江の咄。並燭五分俳諧一巻、其内ニ、
半俗の膏薬入は懐に
臼井の峠馬ぞかしこき 其角
腰の簣に狂はする月
野分より流人に渡ス小屋一 同
宇津の山女に夜着を借て寝る
偽せめてゆるす精進 同
申ノ時計ヨリ風雨雷霆、雹降ル。雹の大イサ三分匁有。龍空を過る時雹降。
大ナル、カラモゝノゴ(ト)ク少(小)サキハ柴栗ノゴトシ」
半俗の膏薬入は懐に
臼井の峠馬ぞかしこき 其角
これは連句なので、「半俗」は前句との係りで、多分これは無視してもいいのだろう。膏薬をすぐに取り出せるように懐に入れておくというところから、中山道の難所である碓氷峠を越える時は馬に乗るのが賢明だが、落馬の心配があるので、と付けたのだろう。
まあ確かに、「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし」(野ざらし紀行)という半俗の芭蕉さんも杖突坂で落馬している。
歩行(かち)ならば杖つき坂を落馬かな 芭蕉
の句は貞享四年(一六八七)なので、その時のことを思い脱して、芭蕉さんもクスリと笑ったのかもしれない。膏薬だけに。
腰の簣に狂はする月
野分より流人に渡ス小屋一 其角
「簣(あじか)」はコトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には「竹・わらやアシなどを編んで作ったかご、ざるの類。」とある。
ここでは天秤棒で吊り下げる「もっこ」ではなく腰に下げるタイプのもので、漁師の用いる籠であろう。
月に狂うならその漁師は只者ではない。都から流れてきた高貴な人物であろう。『源氏物語』「須磨」の俤か。
宇津の山女に夜着を借て寝る
偽せめてゆるす精進 同
これは旅の僧の一夜の迷いか。府中宿の西側の安倍川町には遊女がたくさんいたという。
宇津の山というと『伊勢物語』に、
駿河なる宇津の山べの現にも
夢にも人にあはぬなりけり
在原業平
の歌がある。
この日は雷が鳴り雹が降る。申の刻は夏至も近い頃なので、今でいえば四時は過ぎている。「三分匁」は一匁が約2.4センチ(寛永通宝の直径)としてその十分の三だから7.2ミリというところか。
「龍空を過る時」は竜巻が起きたのか。幸い落柿舎に被害はなかったようだが、この時には唐桃大の雹が降ったという。当時の唐桃(杏)は杏仁を取るための薬用だったから今よりは小さかっただろう。梅よりやや大きいくらいか。「柴栗」は自生する栗で二センチくらいか。竜巻も発生したとあっては、かなりの被害があったあったのではないかと思う。
翌卯月二十六日、芭蕉、丈草、史邦に乙州、去来が加わり、表六句に一句足りない五句の短い俳諧興行を行う(2017年6月3日の俳話を参照)。
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