カンヌ国際映画祭のパルムドールを受賞した是枝監督の『万引き家族』は既に先行上映だけでも興行収入でも2億円に迫り、好調なようだ。
受賞した当初は日本でも反応が薄く、首相もコメントしなかったということがフランスで話題になったようだが、実際に見た人が口コミでその良さを広めていけば、それなりの成功にはなるのではないかと思う。
ただタイトルの「万引き家族」から受けるイメージというのは、日本では「あるあるネタ」ではないし、「さもあらん」でもない。多分知り合いにこんな家族がいるとか言う人はほとんどいないだろう。万引きで生計を立てる家族という設定は、一種の思考実験と言ったほうがいいのかもしれない。
まあ、これでもしリアルな万引き家族逮捕なんてニュースがあれば、「本当にいるんだ」ということになって、もっと盛り上がるだろうが、捏造はやめてくれよ。
あと、監督のあのインタビューは随分韓国のマスコミ(中央日報)によってゆがめられてたみたいだ。ったくネトウヨが韓国のマスコミ信じてどうするんだ。
まあ、それはそれとして「幻住庵記」の続き。
ヤマコレというサイトによると、現在の国分山は「展望はない。」ということで、芭蕉亡き後はすっかり木が生い茂ってしまったのだろうか。残念なことに芭蕉の描いたあの雄大なパノラマは今は見られないようだ。現在の幻住庵は平成三年(一九九一)に再現されたものだという。
「さるを、筑紫高良山の僧正は、 加茂の甲斐なにがしが厳子にて、このたび洛にのぼりいましけるを、ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染めて、「幻住庵」の三字を送らるる。やがて草庵の記念となしぬ。すべて、山居といひ、旅寝といひ、さる器たくはふべくもなし。木曽の桧傘、越の菅蓑ばかり、枕の上の柱にかけたり。昼はまれまれ訪ふ人々に心を動かし、或は宮守の翁、里の男ども入り来たりて、「猪の稲食ひ荒し、兎の豆畑に通ふ」など、わが聞き知らぬ農談、ひすでに山の端にかかれば、夜座静かに、月を待ちては影を伴ひ、燈火を取りては罔両に是非をこらす。」
高良山(こうらさん)には筑後国一ノ宮の高良大社があり、創建は仁徳天皇・履中天皇の時代という伝承があるが、ここまで古いと本当の所はよくわからない。祭神の高良玉垂命について、ウィキペディアには、
「高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。」
とある。
やがて本地垂迹に基づき神仏習合の山として、明治の神仏分離まで栄えることになる。
御井町誌というサイトによると、戦国時代には大友氏と秀吉との対立により荒廃していた高良山を立て直したのが高良山の五十代座主寂源だったという。この寂源こそが、加茂祠官藤木甲斐守敦直の厳子、幻住庵の額の文字を書いたその人だった。額というのは扁額(へんがく)のことで、お寺の門や神社の鳥居に掲げる表札のようなものをいう。
ところで「幻住庵」を検索すると、博多の幻住庵というのが出てくる。こちらのほうが古い。しかもこの「幻住庵」のホームページによれば、幻住庵はここが最初ではなく中国に起源があるという。
「中峰明本は中国禅宗界屈指の禅僧であり、五山第一位に住持するよう求められたが、これを拒否しています。中峰明本は名誉欲を捨て官寺の世界から抜け出し行脚の旅に出ます。
そして行く先々で庵を創りこの庵をすべて幻住庵と名付け、そこで座禅をし自らも幻住と号しました。中峰明本のような世俗と一線をかく禅僧のもとに、西域・高麗・雲南・日本の人が集まってきました。中峰明本に学んで日本に帰国した禅僧は6名おり無隠元晦もその一人です。無隠元晦は師の中峰明本が名付けた幻住庵という庵に因んで、博多に天目山幻住庵を開きました。中峰明本の法系は日本では幻住派と呼ばれ中世から江戸にかけて日本禅宗に大きな影響を与えます。」
菅沼修理定知(幻住老人)がこの幻住派と関係があるのかどうかはよくわからない。
さて、寂源に扁額の文字を書いてもらった芭蕉だが、「やがて草庵の記念となしぬ」という。この部分の「幻住庵ノ賦」には「其裏には予が名を書て、後見ん人の記念(かたみ)ともなれと也。」とある。
「すべて、山居といひ、旅寝といひ、さる器たくはふべくもなし。木曽の桧傘、越の菅蓑ばかり、枕の上の柱にかけたり。」とまあ、荷物は最低限にということで、旅に必要な蓑笠はいつでも手元においておく。幻住庵は別にここに定住することを意図したものではなく、あくまで旅の途中のかりそめの宿だ。
実際に四月六日に入庵したものの、六月に一度離れ、六月二十五日に再び戻ってくるものの、七月二十三日には引き払うことになる。 木曽の桧傘は『更科紀行』の時のものか。越の菅蓑は『奥の細道』の旅を思い出すものであろう。『芭蕉文集』(日本古典文学大系46、一九五九、岩波書店)の補注には、北枝の贈った蓑で、
贈蓑
しら露もまだあらみのの行衛哉 北枝
の句を引用している。
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