2018年6月3日日曜日

 今日は生田緑地に行って、花菖蒲と紫陽花を見た。今年は紫陽花の咲くのが早い。梅や河津桜までは遅かったが、その後咲く花はみんな早い。なぜにそんな花を急ぐのか。
 スペインは首相が変わりカタルーニャ自治州政府が復活したという。イタリアは「五つ星運動」と「同盟」の連立で落ち着くようだ。ネットによって庶民が容易に情報を入手できるようになったため、ポピュリズムといっても昔のような衆愚政治ではなく、却って既存の政党やマスコミのほうが古い価値観に縛られて、むしろ今や衆賢政治の時代が来ているのかもしれない。
 パレスチナにも独立して欲しいが、ただ今の状態だとイスラム原理主義の国になって、却って民も苦しむのではないかと思う。イスラエルの経済成長にコバンザメ商法のようにくっついていって、ある程度経済的に豊かになったところで民主国家として独立するほうが良いと思う。
 それでは「幻住庵記」の続き。

 「なほ眺望くまなからむと、うしろの峰に這ひ登り、松の棚作り、藁の円座を敷きて、猿の腰掛けと名付く。かの海棠に巣を営び、主簿峰に庵を結べる王翁・徐栓が徒にはあらず。ただ睡癖山民と成って、孱顔に足を投げ出し、空山に虱をひねって坐す。たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ。とくとくの雫を侘びて、一炉の備へいとかろし。はた、昔住みけん人の、ことに心高く住みなしはべりて、たくみ置ける物ずきもなし。持仏一間を隔てて、夜の物納むべき所など、いささかしつらへり。」

 幻住庵からの眺望をこれまで述べてきたが、もっと眺めを隈なく楽しもうと言うことで、国分山に登り、松の棚を作り藁の円座を敷いて猿の腰掛と名付ける。
 松の棚は『芭蕉文集』(日本古典文学大系46、一九五九、岩波書店)の注には、「『蘆のひともと』『猿蓑さがし』等には陳元信の「松棚ノ詩」を引く」とある。
 その「松棚ノ詩」を検索して探したら、さすがにグーグル先生、すぐにこの詩を出してきた。それは「『錦嚢風月』解題と翻刻」(堀川貴司)というpdfファイルだった。『錦嚢風月』は「相国寺の春渓が寛正年間に撰んで、唐宋金元明の詩三千余首を纂めたものである」という。寛正年間というと応仁の乱の直前だ。

   松棚       陳元信
 旋斫松枝架作棚 蒼髯如戟昼崢嶸
 清陰堪愛還堪恨 遮却斜陽礙月明

 松の枝を断ち切り棚を作って架ける。
 蒼い髭のような松の枝は戟(げき)という鉾のように昼の空にギザギザと聳え立つ。
 その清らかな木陰は愛おしくもあれば恨めしくもあり、
 西日を遮ってくれるものの、月明かりを見るには邪魔である。

 「棚」という字には棚の意味もあれば、橋や屋根の意味もある。横に渡すものという意味なら、ここではベンチに近いかもしれない。
 赤松は太い枝が横に伸びるから、そこに横板を渡して、梯子を掛けて登るような空中のベンチを作ったのかもしれない。
 そこに藁を編んで丸くした座布団を乗せ、「猿の腰掛」と名付ける。茸の名前に掛けた洒落だ。
 「かの海棠に巣を営び、主簿峰に庵を結べる王翁・徐栓が徒にはあらず。」の王翁は王道人で北宋の頃の人で、徐栓は徐佺で南宋の人。ともに、

   題灊峰閣     黄庭堅
 徐老海棠巢上 王翁主簿峰菴
 梅蘤破顏冰雪 綠叢不見黃甘

 老いた徐佺は海棠の木の上に巣を作り、
 王道人という老いた主簿は峰に庵を結ぶ。
 梅の花は氷る雪の中で破顏して笑い、
 生い茂る緑の中では蜜柑は見えない。

の詩による。
 蘤は花の異字体で、同様に𤾡という字もあるようだ。「汉典」という中国語のサイトに「古同“花”。」とある。
 芭蕉は自分は徐佺や王道人のような立派な人ではないと謙遜する。
 「ただ睡癖山民と成って、孱顔に足を投げ出し、空山に虱をひねって坐す。」
 「孱顔(せいがん)」は辞書には「山がやせほそって険しいさま」とある。そのまま読めば貧弱な顔だが、それを山に喩えたものだろう。ぽっちゃり顔のような山だと確かになだらかな感じがする。痩せると険しくなる。
 ただ山で隠居生活を送りだらだらと眠るだけで、険しい山に向って足を投げ出し、空っぽの山で虱を潰している。この「虱をひねって」に俳諧がある。

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