2017年9月3日日曜日

 原爆突きつけられてもー、水爆突きつけられてもー、なんて歌が昔あったか。
 「立出て」の巻の続き。

 九句目

   世を住かへて憂名はがさん
 涼しさや閼伽井に近き芝つづき    千山

 閼伽井はウィキペディアによれば「閼伽(あか)は、仏教において仏前などに供養される水のことで六種供養のひとつ。」で、「閼伽を汲むための井戸を『閼伽井』、その上屋を『閼伽井屋』、『閼伽井堂』と称される。」とある。『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(一九九四、岩波書店)の注には「また寺院や墓地の井戸」ともある。
 これが墓地の井戸だとすれば、前句の「世を住かへて」はこの世からあの世へ住み替えての意味になり、閼伽井に近い芝生の上にある新居はさぞかし涼しいことだろう。生前はいろいろあったけど、という所か。

 十句目

   涼しさや閼伽井に近き芝つづき
 目印つけてもどる沢潟(おもだか)  占立

 オモダカは湿地に生える植物で、矢印型の葉と白い小さな花は紋章にも用いられている。花は新暦の六、七月から咲き始めるので夏の季語になる。
 曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』には、「慈姑」という字を当てている。

 「慈姑[和漢三才図会]その苗を、俗におもだかと云。其根を白くわゐと名づく。単葉の小白花をひらく。〇慈珍曰、慈姑、一名燕尾草と云。葉、燕の尾の如く、前尖りて、後に岐あり、云々。」(『増補 俳諧歳時記栞草(上)』曲亭馬琴編、二〇〇〇、岩波文庫、p.323~325)

 湿地に咲くオモダカは涼しげで、目印をつけておくというのは月の夜にでも見に来るつもりか。

 十一句目

   目印つけてもどる沢潟
 蜘のひの立挙動(たちふるまひ)ぞくれにける 才麿

 「蜘(くも)のひ」は謎だが、ウィキペディアには「岡山県倉敷市玉島八島で、クモの仕業といわれる『蜘蛛の火』がある。島地の稲荷社の森の上に現れる赤い火の玉で、生き物または流星のように山々や森の上を飛び回っては消えるという。」とある。宝暦四(一七五四)年刊の『西播怪談実記』の「佐用春草庵是休異火を見し事」は半世紀後だが、元禄期にもこういう言い伝えが既にあったとすれば、才麿が地元で聞いた話を登場させたのかもしれない。
 夕暮れに蜘蛛の火を見たので、その場所に印をつけてもどってきたということか。
 『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(一九九四、岩波書店)の注は「『蜘のひ』は『蜘の囲』。」とし、「一日中せっせと巣を張っている」とする。「囲」の通常の仮名表記は「ゐ」だが、「ひ」と混同された可能性もある。
 だとすると、蜘蛛の巣を張る蜘蛛の様子を見ていたらいつの間に時が経って日も暮れていた、ということになる。何の目印なのかはわからない。

 十二句目

   蜘のひの立挙動ぞくれにける
 歩行(あるき)にくさの行水の下駄 尚列

 「行水」は夏の季語だが『増補 俳諧歳時記栞草』にはない。また、行水の

句は、

 行水も日まぜになりぬむしのこゑ 来山
 行水の捨て所なき虫の声     鬼貫

など、秋に詠むこともある。「575筆まか勢」というサイトで行水の句を見たが「行水(ゆくみず)」の句がかなりの数混じっていた。
 「行水の下駄」は『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(一九九四、岩波書店)の注に「行水用の下駄」とあるが、どのような下駄なのかはよくわからない。
 江戸時代の浮世絵の行水を画像検索すると、確かに盥の横にいる人物は下駄を履いているが普通の下駄に見える。
 前句が「蜘蛛の火」だとしたら、腰を抜かしたか。「蜘蛛の囲」だとしたら、せっかくの蜘蛛の巣を壊さないように歩くから歩きにくいということか。
 「蜘のひ」「歩行にくさ」の二句ははっきりいってよくわからない。当時の人ならわかったのだろう。まだまだ研究が必要だ。

 十三句目

   歩行にくさの行水の下駄
 物とがめそこで笑にしたりつる  海牛

 悪いことをしたら叱り付けるのは当然だが、相手をとことん追い詰めたりせず、適当な所で笑って許すことも必要だ。
 浮世絵にもあったが、子供を行水させる母親の姿だろうか。

 十四句目

   物とがめそこで笑にしたりつる
 角力(すまふ)の徳は月もかまはず 千山

 昔は相撲は秋の神事だった。ただ、それとは関係なく草相撲もあったし、大道芸としての辻相撲もあった。貞享元年(一六八四)に寺社奉行のもとで勧進相撲の興行が許可されたのが、今に続く大相撲の始まりとされている。
 「かまはぬ」というのは江戸時代の模様に鎌と輪と「ぬ」の文字を書いたものがあるように江戸時代の人に大事にされた言葉だ。好きにすればいい、何の制約も課さないという、今でいう自由、フリーダムを意味してたといっていいと思う。
 相撲の良い所はお月様だって何お咎めなしで、ガチの喧嘩や戦争ではなく、ゲームで誰も死んだり傷ついたりすることなしに勝敗を決するというのは、今のスポーツの理想でもある。
 ただ理想はそうだが、実際は勝負の判定を巡って喧嘩になったりと、それも今のスポーツと同じか。蕉門の「馬かりて」の巻の四句目に、

   月よしと角力に袴踏ぬぎて
 鞘ばしりしをやがてとめけり  北枝

とあるのは、やはり勝負を巡っていさかいが起きることも多かったのだろう。

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