せっかくだからもう少し大阪談林的な世界を見ておこうと思う。
昨日も賀子撰『蓮実』(元禄四年刊)を見ておこう。
賀子についてはあまりよくわかっていないようだ。父は斎藤玄真という医師で禾刀(かとう)という俳号で、西鶴に俳諧を学んでいたという。賀子と西鶴との結びつきもそこにあったのだろう。
『蓮実』の序文は難解な出典とかもなく、なかなかわかりやすい。
「花は散もの、月は入ものにして、是を世のさまとす。貴賎僧俗われに着する故に、吾とくるしむ獅獅身中の虫なり。かしこき人はまずしきをたのしみ、富て礼をなせとこそ教けれど、それまではいふにたらず、ねがふもむつかし。右指左指造次顛沛、東西に走り、南北に起臥し、心のおもむくにまかする事、蓮の実のごとし。」
花はいつかは散り、月はいつかは沈むのは当たり前のことで、それに執着するのは獅子に寄生する虫のようなもの。そのあとは『論語』の引用で、賢い人は貧しさを楽しみ、豊かになったら礼をなせとはいうものの、なかなかその境地にはなれないし、なろうとも思わない。「むつかし」は面倒くさいというような意味か。
「右指左指造次顛沛」は右に行ったり左に行ったり急に何か起こったりいきなりひっくり返ったり、ということで、『論語』にはそういう時でも仁を忘れずにというのだが、それはねがうもむつかし、か。東西に走り南北に起臥し心の赴くままに任せ、蓮の実のようにはじけようじゃないか、と。『論語』を引用しながらも、そんなことは気にせずかまわず自由に生きようじゃないかという宣言と見ていいだろう。
この辺の奔放さこそが大阪談林の根底にあるのではないかと思う。蕉門のような古典風雅の古人の理想を求めるのではなく、泣いたり笑ったりわからなかったり迷ったり、それが人間じゃないか、その基本にあるのは「かまわぬ」ということ、つまり自由ではないかと思う。
そういうわけで、最初の歌仙の賀子の発句に繋がる。
蓮の実におもへばおなじ我身哉 賀子
蓮の実は晩秋になるとあの蜂巣の穴の中にあった実がぽんと飛び出すらしいが、まだ見たことはない。『去来抄』「先師評」に、
ぽんとぬけたる池の蓮の実
咲花にかき出す橡のかたぶきて はせを
の句がある。
序文を踏まえるなら、賀子の発句は、その蓮の実を思えば、自分もまた特に何の理由もなく衝動に任せて行動することがよくあり、それに似ているな、というような意味だろう。
西鶴はこの発句にこう和す。
蓮の実におもへばおなじ我身哉
世にある蔵も露の入物 西鶴
この世に蔵を立てたところであの世には持ってゆけない、蔵の中身もまたその場限りの儚い露のようなものじゃありませんか、ならば自由に生きるのが一番です。
第三は両吟の常として西鶴が詠む。
世にある蔵も露の入物
名月の朝日に影の替り来て 西鶴
前句の「露」は比喩だったが、ここでは蔵に降りる本物の露として、名月がやがて沈み朝日が差すころには、月の光に輝いていた露も消えてゆく、とする。もちろん、この句全体も人生の儚さの比喩ととることはできる。
夜の世界に遊び楽しみ、ひと時の夢の世界に酔いしれていても、やがて朝が来て現実の世界に引き戻されてゆく。それでもあの露の輝きにこそ人生の真実がある。それは永遠の理想と言ってもいい。人類の永遠の理想、それは「かまわぬ」つまりフリーダム。
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