西太子堂のcat's meow booksで『猫の古典文学誌』(田中貴子、2014、講談社学術文庫)を買った。
あとがきに「また、膨大であろうはずの江戸俳諧や連句、絵草子の中の猫も多くは取り上げることが出来なかった。」とある。まあ、立派な学者さんとは住む世界が違うが、私も俳諧、連句に関しては頑張ろうと思う。
とにかく今は俳諧をたくさん読みたいなと思う。そういうわけで「蓮の実に」の巻の続き。今回で最後。
二裏
三十一句目
月を妬める後の母親
追(おひ)訴訟身の程しらぬ秋の蝉 西鶴
江戸時代は訴訟社会で、土地の境界線争いや共有地のの入会権、水利争いなど、民事訴訟が絶えなかった。当時は裁判が無料だったということもあるらしい。弁護士に相当する公事師というのはいたらしいが、読み書きの出来る百姓は、自分で訴状を書いたりもしてたようだ。
秋の田をからせぬ公事の長びきて
さいさいながら文字問にくる 芭蕉(『阿羅野』「雁がねも」の巻)
という句もあったが、ところどころ字がわからなくなると、お寺の坊さんなどに聞きに行ったりもしたのだろう。芭蕉さんのところにも来たのかもしれない。
当時は再審制はなかったので、不服があると別件で追い訴訟をしたのだろう。後の母親が何を妬んでどんな訴訟を起したのかは知らないが、勝てる当てのない裁判でいたずらに騒ぎ続けるのは、秋になってもまだ鳴いている蝉のようだ、と揶揄する。
三十二句目
追訴訟身の程しらぬ秋の蝉
堂こぼたれて山のさびしき 賀子
訴訟というとこの時代には神社と仏閣との境界争いが多発したようだ。芭蕉の仏道の方での師匠だった鹿島根本寺の仏頂和尚も、寺領五十石を七年に渡る裁判の末に取り戻したという。
この句の場合はお寺の方が負けたのか、寺領を失ったお寺は寂れてゆく。
三十三句目
堂こぼたれて山のさびしき
谷川や岩にとどまる笠の骨 賀子
今日だと台風の後なんかは道端にビニール傘の白骨がいたるところに散らばっているが、江戸時代の編み笠には骨がないので、唐傘のことだろう。もう挙句も近いので、ありがちな風景を軽く添えて遣り句する。
三十四句目
谷川や岩にとどまる笠の骨
手枕をして山椒魚寝る 賀子
魚扁に帝の字のフォントが見つからないので「山椒魚」と表記しておく。
確かに山椒魚には手があるが、手枕はちょっと無理ではないかと思う。
三十五句目
手枕をして山椒魚寝る
神農の代々(よよ)におしへの花の露 西鶴
神農は三皇五帝の一人で、医療と農耕の神様でもある。湯島聖堂に寛永十七年の神農の像があるが、頭に小さな角がある。亜人(デミ・ヒューマン)の一種と思われる。
山椒魚は精力剤にされてきたが、神農のありがたい教えは世に広まり、人々は健康に暮らしている。「花の露」は比喩だが、平和でみんなが元気に暮らす村、山椒魚が川にすむ村の実景としてもいい。
挙句
神農の代々におしへの花の露
桉葉(たらやう)にかく春の初文字 西鶴
タラヨウは多羅葉とも書く。モチノキ科モチノキ属の常緑高木。葉の裏面を傷つけると字が書けるという。
前句の「花の露」が比喩なので、最後は正月の句にして目出度く治める。
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