今日も涼しかった。青マツムシがリーリー鳴いている。
それでは「立出て」の巻の続き。
十五句目
角力の徳は月もかまはず
鼻紙に扇そへをく露のうへ 占立
角力に扇、月に露と四つ出に付いている物付けの句。
相撲の行司は元禄期に今のような軍配を使うようになったが、それ以前は普通の扇か唐団扇を使っていたともいう。軍配も軍配扇で扇の一種ではある。
『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』(一九九四、岩波書店)の注には、「露の降りた草の上に敷いた鼻紙に扇を乗せて相撲の勧進元が挨拶している。」としている。
露の降りた草の上に扇を置くのなら、それこそ、
花野みだるる山のまがりめ
月よしと角力に袴踏ぬぎて 芭蕉
ではないが、草相撲を取るために、持っていた扇子を汚れないように鼻紙を敷いて、その上に置いただけかもしれない。
鼻紙は古紙を再生した「落とし紙」から、高級な「花紙」までいろいろあったようだ。
十六句目
鼻紙に扇そへをく露のうへ
大工の箱をなをす朝寒 才麿
露が降りるのだから朝は寒い。扇の箱は小さいので大工さんが直すのは大工道具を入れる箱ではないかと思う。一日の仕事の前に箱が壊れているのに気づき、手にした扇を横において修理を始める。
十七句目
大工の箱をなをす朝寒
髪結はぬ花の主の形(なり)見られ 尚列
元禄の頃はまだ公園が整備されてなく、花見は寺社で行われた。桜の木を育て、手入れしている花守は、そのお寺の童子だったのだろう。
大工が箱をなおしていると朝早いので普段は人前に姿を現さない大童子姿の花守が見えた。秋の句から花の定座への展開。
花守や白きかしらをつき合わせ 去来
の句も、わらわ髪のまま年取った大童子だったのだろうか。少なくとも剃髪した僧ではなかった。
十八句目
髪結はぬ花の主の形見られ
海辺のどかに並ぶ魚舟 海牛
これは向え付け。中世連歌では相対付けという。花の山に海辺と相反するものを付け、対句のように作る。
山では髪結わぬ花守の姿があって、海辺にはのどかに漁船が並んでいる。
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