想像してごらん。世界は一つになんかならないことを。いろんな人がいて様々な文化があってたくさんの国があって、それぞれ張り合ったりしながら、世界はより楽しく刺激的なものになるということを。夢かもしれないけど、みんながそう思えば簡単なこと。
いくら核ミサイルを振り回したところで、この世界を一つにするなんて所詮無理なんだよ。アメリカだってできやしないんだから、まして‥‥。
今日でこの鈴呂屋俳話はちょうど一年。花火を上げて祝ってくれたのなら歓迎するが。
では「蓮の実に」の巻の続き。初裏に入る。
七句目
白鷴人をおぢぬ粧ひ
山桜限リの身とて二百戒 西鶴
二百五十戒というのは『四分律』に基づく仏教の戒律で、僧の守るべき戒律をいう。ここで「二百戒」というのは、五七五の枠に収めるために省略した言い回しかと思われる。二百五十戒は男性の僧に対する戒律なので、山桜に諸行無常を感じ、出家して戒律を受け入れる決意をした人は男性ということになる。尼僧は三百四十八戒。ちなみに東南アジアの上座部仏教では二百二十七戒だという。
山桜は散って人は人生の儚さを感じても白鷴は平然としている。そこで発心したのだろう。
八句目
山桜限リの身とて二百戒
昔にかはる寄生(やどりぎ)の梅 賀子
本歌は、
世をのがれて東山に侍る頃、
白川の花ざかりに人さそひければ、
まかり帰りけるに、昔おもひ出でて
ちるを見て帰る心や桜花
むかしにかはるしるしなるらむ
西行法師『山家集』
出家前は満開の桜だけを楽しんでたが、今は桜の花の散る心をしみじみと味わうことができる。それは出家したせいなのだろう。
心境の変化というよりは、俗人だった頃は花見といってもあくまで宴席での人付き合いの方が主で、そこで才能をアピールすることしか考えてなかったが、出家後に花見に誘われ桜の散る姿を見て、無常迅速を思うといたたまれなくなっておいとまして帰ってきたのだろう。
賀子の句はこの「昔にかはる」出家した我が身を、梅に寄生するヤドリギに喩えたのだろう。僧は自分で食物を作ったり狩ったりしない。人から施し物を受け、いわば寄生して生きている。
九句目
昔にかはる寄生の梅
豊国の奥は小蝶の羽の弱シ 賀子
徳川の時代では豊臣秀吉(とよとみのひでよし)は悪人だが、関西人にしてみれば判官びいきの部分もあったのだろう。
とはいえ豊臣秀吉を祀った豊国神社が再興したのは明治になってからのことで、それまではずっと荒れ果てたままだった。
そこでは昔は見事な花を咲かせていた梅の木もヤドリギが生え、蝶は秀吉の魂の変化したものか、その羽の音も弱々しい。もちろん実際には聞こえるはずもない音だが、霊魂の音を心で聞くといったところか。秀吉は豊臣の姓を賜る前は「羽柴秀吉」だった。
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