2017年9月8日金曜日

 『源氏物語』の明石巻もまず須磨の雷雨からはじまるし、

   雨のとをれば桐油まくる竹輿
 淋しさを酒で忘れんすまのうら   海牛

の句も見たところで、『椎の葉』の才麿の紀行文の須磨のところを見てみようと思う。

 「みなと川をわたり、兵庫の津を出て、タタビ山・蛸釣やま、此あたりおなじやうなる奇峰、いくらも並びて、青帳錦屏の粧ひをなせり。須磨へもはやわづかになりて、鉄拐がみね・鐘かけ松、まぢかうみゆる。ききしよりはけはしく、古松いくへにもかさなりて、すがた猶すさまじ。須磨の人家は今もまばらに、松のはしら・竹あめる垣・板のひさしは山颪にやぶれ。関もるかげもなく、汐やくわざも見えず、邂逅つりたるる泉郎の子の、まどをの衣肌寒くこそ着なしたれ。

 あら古や露に千鳥をすまの躰」

 兵庫の津は今の神戸港の母体で、湊川は今は長田区の辺りを流れているが、かつては兵庫の津の方に流れていたという。ほぼ今のルートになったのは明治43年だという。旧湊川は兵庫の津の西側を流れていたので、「みなと川をわたり、兵庫の津を出て」というのは、湊川を渡ることで兵庫の津を出てという意味だろう。
 タタビ山は現在の再度山(ふたたびさん)、蛸釣やまは「高取山」と思われる。ウィキペディアの「高取山 (兵庫県)」を見ると、

 古名は「神撫山(かんなでやま)」という。現在は高取山と呼ばれているが、長田区の民話においては山全体が水没した際に大きな松に絡んだタコを捕獲したということから「タコ取り山」と名づけられたという説がある。

とある。このあたりの山は急峻で岩場も多く、西は須磨の鉄拐山へと連なる。鉄拐は仙人の名で、蝦蟇(がま)使いとして中世の絵画に描かれている。鉄拐山の中腹には弁慶が安養寺から持ち去った鐘をかけたと言われる鐘掛松がある。
 須磨の辺りは家もまばらで、藻塩焼く海人の姿は見られなかった。このあたりは貞享五年(一六八八)にこの地を訪れた芭蕉の『笈の小文』にも、「東須磨・西須磨・浜須磨と三所にわかれて、あながちに何わざするとも見えず。『藻塩(もしほ)たれつつ』など歌にもきこへ侍るも、今はかかるわざするなども見えず。」とある。
 ただ、芭蕉が見たのはカラスを脅す今の海人の姿だったが、才麿が見たのは「まどをの衣(麻衣)」を着た海人の姿で、そこに古代を偲ぶことができた。「まどをの衣」は、

 須磨のあまのまどほの衣夜や寒き
     浦風ながら月もたまらず
                藤原家隆『新勅撰集』

の歌に詠まれている。
 さて、そこで才麿の一句。

 あら古や露に千鳥をすまの躰    才麿

 「あら古や」は「あら、経るや」、あらあら随分昔のことになってしまったものだ、という意味だろう。
 千鳥は、百人一首でも知られている、

 淡路島通ふ千鳥の鳴く声に
     幾夜ねざめぬ須磨の関守
                源兼昌『金葉集』

にも登場する。しかし、今はそこに関もなく、ただ露に千鳥だけが須磨の体となる。連歌の式目『応安新式』には、須磨 明石(可為水辺‥‥)とあり、「浮木、舟、流、浪、水、氷、水鳥類、蝦、千鳥‥‥(已上如此類用也)」とある。これでいくと「露に千鳥」は須磨という体に対して「用」ということになる。ただ、ここでは露に千鳥があることで須磨が体をなす、という意味であろう。
 才麿の紀行文の須磨の場面はまだ続く。
 それではこの辺で、こやん源氏「明石」の続きを。

 胸がきゅんとなってかえって気持ちを落ち着けることができず、現実の悲しいこともすっかり忘れて、夢とはいえ何一つまともな受け答えができなかったもやもやが残るだけに、もう一度逢えないかと何とか寝ようと努力するのだけど、ますます目が冴えてしまったまま夜も明けてしまいました。
 いかにも小さそうな船が近くの渚に接岸し、二、三人ほど源氏の君の宿泊しているところにやってきました。
 「はて、どちら様で?」
と尋ねると、
 「明石の浦より先の播磨の守で今は出家したばかりの身の上の者が、こうして船を仕立てて参った。
 源の少納言がおられるならこちらへ来て取り次いでくれ。」
と言いました。
 源少納言良清は驚いて、
 「あの入道は播磨の国にいた頃交流のあった人で、長く懇意にさせていただいてたっすが、個人的に少々感情的な問題があって長いこと疎遠になってて、こんな海の方から人目を忍んで一体なんなんすかねえ。」
と首をひねります。
 源氏の君は夢のことなど思い当たることもあるので、
 「早く会ってこいよ。」
と言うと、船の方に行って対応しました。
 あれほど風が吹いて波も高かったのに、一体いつ船を出したんだと何とも不可解です。
 「以前三月最初の巳の日の夢に見たことのないような身なりの人お告げがあって、何とも信じがたいことだったのだが、
 『13日に新たな兆候を見せる。
 船を用意して必ず雨風が止んだらこの浦に接岸せよ。』
と何度もお告げがあって、試しに船を用意して待っていると、雨も風も激しく雷もゴロゴロ鳴りだしたので、中国の皇帝にも夢を信じて国を救ったというような話がたくさんあるのを引用するまでもなく、この神罰の日を逃さず、このことをお話したくて船を出すと、不思議なことに弱い風がそこだけ吹いてこの浦にたどり着いたのだから、これぞまさに神の導きに違いない。
 そちらにももしや心当たりがあるのではと思ってな。
 突然でいかにも失礼なことではあるが、このことを伝えてくれ。」
と言いました。
 良清は源氏の君に耳打ちします。
 源氏の君は思い返すと、夢にもうつつにもいろいろ穏やかならぬ神のお告げのようなことがあったのをあれこれ結びつけて、
 「世間で逃げ出したというような話になっていろいろ後の人に非難を受けることを心配するあまり、本当に神様が助けてくれているのかもしれないのを拒むなら、そっちの方がもっと人の物笑いの種になる。
 実際の人の心ですら怖いのだから、まして神ともなれば‥‥。
 これまでのどうしようもない状況を考えても、ここは自分より年長で、それに地位もあって、自分よりも時流に乗って輝いている人には、それにうまく取り入って気に入られるようにしない手はない。
 長いものには巻かれろと昔の賢者も言っていることだ。
 実際、こんな生きた心地もしないような、この世にそうそう起こるはずのないようなことばかり見せ付けられ、それで後の評判を恐れて逃げたのでは武勇伝にはならない。
 夢の中で父である御門にも諭されたとあれば、もうこれは疑いようがない‥‥。」
 そう思ってこう答えました。
 「見知らぬ土地で滅多にないような災厄をこれでもかと見てきたけど、都の方から見舞ってくれる人もいない。
 ただ行方も知れぬ月日の光ばかりを故郷の友と眺めていたところ、何とも嬉しい迎えの釣り船ではないか。
 そちらの浜辺に静かに隠れてすごせるような場所があるなら‥‥。」
 それを聞くとこの上なく喜んで姿勢を正してこう言いました。
 「とにかく夜が明けてしまう前に舟に乗りなさい。」
 そういうわけで例の親しい四、五人を引き連れて乗り込みました。
 するとさっき言われたようにそこだけ風が吹いて、飛ぶように明石に到着しました。
 普通にこっそり舟を出したとしてもすぐ着いてしまうような距離とはいえ、それでもまるで意思を持っているかのような不思議な風でした。


 この浜辺のあたりはまったくの別天地といったところです。
 人が多いのだけは難点ですが。
 入道の所領は海に面したところから山の向こう側まで広がり、四季折々の興を咲かすと思われる苫屋に、お勤めをして死後の成仏に思いをはせるにふさわしい山水に面したところに荘厳なお堂を立てて修行に励み、現世での生活は領内で取れる秋の田の稔りを頼みとし、長い老後に備えて立ち並ぶ米蔵はあたかも一つの町のようで、どこを見てもどれを取っても目を見張るようなものがここに集められてます。
 ここ最近の高潮を恐れて、娘などは高台の家に引っ越させていたので、この浜辺の館に誰にも気兼ねせずに気ままに暮らしいるようです。
 船を降りて牛車に乗り換える頃には陽もようやく昇り、源氏の君のお姿をほのかに拝むことができると、すっかり歳も忘れて若返ったような気分で破顔一笑し、住吉の神に真っ先に取りすがるようにお祈りし感謝を捧げました。
 太陽も月も手に入れたような気になって、せっせと源氏のご機嫌をとろうとするのも理由あってのことです。
 自然の景色はもちろんのこと、造営された庭の趣向もまた、立ち木、庭石、植え込みなどの見事さといい、言葉にできないくらいすばらしい入り江の水といい、絵に描こうにも才能のない絵師ではとても書くことはできないでしょうね。
 ここ何か月かの住まいに比べれば、明らかに格段の差があり、すっかりお気に入りです。
 部屋の調度などもあり得ないくらいのもので、中の様子は都の大臣クラスの家にもなんら遜色ありません。
 まばゆいばかりのその華やかさは、むしろそれ以上と言ってもいいでしょう。
 少しは気持ちも落ち着いた頃、京に手紙を書きました。
 あの雨の中をやってきた二条院の使いも、今は「とんでもない所に来てしまってこんな恐ろしい目にあって」と泣き崩れたままあの須磨にま置き去りにされてたのですが、呼び寄せて不相応なほどの報酬を与えて発たせました。
 いつも一緒にいた祈祷師たちの主だったところには、今回あったことを詳しく書いて託したのでしょう。
 入道となった中宮には、不思議なことがあってあの世から生還したことなどを書きました。
 二条院への手紙はというと、書こうにも胸がいっぱいになり何も書くことができません。
 書こうとしては手を止めて涙をぬぐっている様子なども、それでも別格です。

 「これでもかこれでもかと悲惨な目の限りを体験しつくした状態なので、俗世とさよならしてこのまま消えてしまいたいような思いに駆られるけど、鏡に映るならそれを見てと言ったあの時の君の姿を忘れた夜はなく、こんなにもいてもたってもいられなくて、ここでのいろいろあった悲しいことも吹っ飛んで、

 こんなにも思いは遥か見も知らぬ
     浦からさらに遠い浦へと

 悪夢の中をもがくばかりで醒めることもできず、しょうもない愚痴ばっかりになってしまったな。」

と実際とりとめもないことを書き連ねるいるにしても、周りの者からすればついつい覗き込んでみたくなるもので、結構いろいろ気を使ってるんだなとあらためて感心するのでした。
 ほかの人もそれぞれの実家に、いかにも心細いことを書いて送ったのでしょうね。
 少しも止むことのなかった空模様も嘘のように晴れ渡り、漁に出る漁師たちもどこか誇らしげです。

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