「蓮の実に」の巻は二の懐紙に入る。
二表
十九句目
海棠眠る唐人の留守
紅(くれなゐ)のチンタ流るる春の水 西鶴
チンタはvinho tinto(ポルトガル語)、vino tinto(スペイン語)のtintoで本来は染まったという意味。女性形だとtintaになる。英語のtintと語源は同じ。
唐人が出てきたところで、これは曲水の宴か。中国の酒ではなくぶどう酒を入れた杯が流れてくる。
二十句目
紅のチンタ流るる春の水
小鼓出来て時服下され 賀子
曲水の宴だが、詩を詠むのではなく鼓を打って、その功績で時服を賜る。
本来時服は律令で定められた季節ごとの衣装代の支給だったが、江戸時代には将軍家が大名や旗本に褒美として下賜するようになった。
二十一句目
小鼓出来て時服下され
今日までは見て登リたる雪の富士 賀子
豚もおだてりゃ木に登ると言うが、ここでは下賜の喜びを富士山にも登る気分に喩える。
二十二句目
今日までは見て登リたる雪の富士
扇面逆心さいご近づく 西鶴
江戸時代の刑罰には扇腹(おうぎばら)というのがあり、切腹より重く斬罪よりは軽い。コトバンクの「デジタル大辞泉の解説」には、
「江戸時代、武士の刑罰の一。切腹と斬罪(ざんざい)の中間の重さのもので、罰を受ける者が、短刀の代わりに三方(さんぼう)に載せた扇を取って礼をするのを合図に介錯人が刀でその首を切る。扇子腹(せんすばら)。」
とある。
富士は扇をひっくり返した姿なので、逆になった扇子に逆心の罪の者の最期が近づくとする。俳諧では「切腹」だとか「腹を切る」といった直接的な表現を嫌う。
二十三句目
扇面逆心さいご近づく
状箱を焼捨がたし行蛍 西鶴
「行蛍」は『伊勢物語』に出典のある言葉で、短い物語だ。
「昔、男ありけり。人の娘のかしづく、いかでこの男にもの言はむと思ひけり。うち出でむことかたくやありけむ、もの病みになりて死ぬべき時に、かくこそ思ひしかと言ひけるを、親聞きつけて泣く泣く告げたりければ、惑ひ来たりけれど、死にければつれづれと籠りをりけり。時は水無月のつごもり、いと暑きころほひに宵は遊びをりて、夜ふけてやや涼しき風吹きけり。蛍たかく飛び上がる。この男、見ふせりて、
ゆく蛍雲のうへまで往ぬべくは
秋風吹くと雁に告げこせ
暮れがたき夏のひぐらしながむればそのこととなくものぞ悲しき。」
逆心の男の最期の近づいた時、状箱の恋文を焼き捨てようと思ったものの焼くことができず、さりとてこのまま残せば死後に女の元に伝わってしまい、ああ行く蛍、となってしまう、と悩む。
二十四句目
状箱を焼捨がたし行蛍
今の身請は袖のむら雨 賀子
前句の焼き捨てがたい手紙を遊女のものとし、不本意な身請けに泣く遊女の心を付ける。
身請けされるから始末しなくてはいけないのだが、思いは断ちがたく行く蛍となって飛んで行く。そんな悲しさに袖は涙の村雨に濡れる。
恋句の展開の場合男と女を入れ替えるのは基本。
こういう本人の切ない恋心を詠む、中世連歌に近い恋句の読み方は、蕉門ではほとんど見られない。浮世の恋を第三者的に斜に構えて笑いに転じて詠むことが多い。
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