台風の後は暑さが戻ってきたが、それでも真夏ほどではない。
それでは「蓮の実に」の巻。
十三句目
借ス人もなき大年の宿
京の伯父田舎の甥も輿かきて 賀子
前句を大晦日は誰に宿を貸すでもないと取り成し、その理由をみんな輿を担ぎに行っているからだとする。
大晦日は神道では大祓い、仏教では除夜でみんなはきれいに祓い清め、歳神様(正月様)を迎えるために夜通し起きていた。
十四句目
京の伯父田舎の甥も輿かきて
官女の具足すすむ萩原 西鶴
具足というと今では甲冑の意味で使われることがほとんどだが、古語辞典を見ると、伴いを連れること、家来、部下、調度品などいろいろな意味が出てくる。
官女というと雛人形の三人官女を連想する人も多いかもしれないが、雛人形に三人官女を飾るのは江戸後期以降。
平安時代だと、官女は宮中の雑用係で、今で言えばお掃除おばさんみたいな感覚か。貴族の側仕えの女房たちよりも身分が低い。
ただ、元禄時代に「官女の具足」が何を意味していたのかはよくわからない。高貴な女性なら立派な街道を行くだろうから萩原ということもなさそうだし、あるいは都落ちした官女の行列か。
十五句目
官女の具足すすむ萩原
房枕秋の寝覚の物狂ひ 西鶴
「房枕」はくくり枕のことか。細長い袋にそば殻、籾殻などを詰めるのだが、その両端をくくる部分に房をつけたものは豪華な感じがする。語感的には「草枕」に通じるので、萩原でも草枕ならぬ房枕で、明け方には失恋の寂しさから狂ったように萩原をさ迷い歩く。具足は『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』では「性具」との説明がなされている。
本当に官女が具足(鎧兜)を身につければ、それも物狂いかもしれないが、それだとどちらかというと、延宝のころの蕉門のシュールギャグになる。
十六句目
房枕秋の寝覚の物狂ひ
血を忌給ふ御社(みやしろ)の月 賀子
秋が二句続いたので、ここらで月を出すのが順当だろう。月に狂気は洋の東西を問わない。
かつての「穢れ」の概念は未知の病原体への闇雲な恐怖から来たといってもいい。だから今日的に言えば病気に感染する恐れのあるものを忌む。血もそうだし死体や動物も動物関係のお仕事の人も忌むべき対象になる。月経の経血もその一つ。
神社は一般に血を忌むが、最後に「月」と放り込むことによって、前句の寝覚めの物狂いが「月のもの」によることになる。
十七句目
血を忌給ふ御社の月
猪に折られながらに花咲て 賀子
血を忌む御社は動物も忌むのだが、特定の動物はむしろ神使として大事にされる。
この場合の猪は神使ではなくそこいらから迷い込んできた猪だろう。ただ、血を忌むので退治することはできない。猪に好き放題に暴れまわられて桜の枝も折られてしまったのだろう。それでも負けじと桜は咲く。
十八句目
猪に折られながらに花咲て
海棠眠る唐人の留守 西鶴
「海棠眠る」は「海棠の眠り未だ足らず」という楊貴妃の逸話から来ているらしい。ネットで調べたが出典はこれのようだ。
「上皇登沈香亭、召太真妃子、妃子時卯酔未醒、命力士従侍児、扶掖而至、上皇笑曰、豈是妃子酔、直是海棠睡未足耳〈楊太真外伝〉」[佩文韻府]
ただ、ここでは本説とか俤とかではなく、猪に折られた田舎の花に、唐の楊貴妃を対比させたもので、対句のように作る「向かへ付け(相対付け)」ではなく、唐人が留守だから猪に折られるという、意味(心)の上で辻褄を合わせる「違え付け」になる。
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