新聞に角田光代さんの『源氏物語』のことが載っていた。源氏物語もいろいろ新しい訳も出てきているので、こやん源氏の方はもう書かなくてもいいだろうな。俳諧に専念したほうがいいのだろう。
二表
十九句目
海辺のどかに並ぶ魚舟
あかあかと霞の間の塔一つ 千山
これは瀟湘八景図のようだ。漁村夕照だろうか。
「あかあかと」という言葉は『奥の細道』の、
あかあかと日は難面(つれなく)もあきの風 芭蕉の用例があり、この場合は沈む陽の赤いさまをあらわすもので、芭蕉自筆の『入日に萩の自画賛』に萩と重なる赤い夕日が描かれていて、それに「あかあかと」の句が添えられている。千山の句も春の夕暮れの情景と見ていいだろう。霞の中の塔という趣向も中国の絵画を髣髴させる。
二十句目
あかあかと霞の間の塔一つ
麻の中出て気の広う成 占立
麻は麻布や麻紐に用いるため、かつては日本のいたるところで栽培されていた。高さが2.5メートルにもなるため、1.5メートルくらいだった江戸時代の男性から見るとかなりの圧迫感を感じただろう。麻畑を出て視界が開け遠くに塔が見えたりするとほっとする。
『去来抄』に、
つかみ逢ふ子どものたけや麦畠 去来
の句に対し、凡兆が「是の麦畠は麻ばたけともふらん。」と言ったとあるが、麻の長けとなると巨人族の子供か。
江戸時代までの日本では麻も栽培されていたし、芥子も様々な園芸品種が存在した。それでもそれを麻薬として利用する文化はなかった。
伊勢神宮の大麻配布はかつては麻で作られた大幣で清められた御札の配布で、麻薬の大麻を連想させるためよくネタにされる。
二十一句目
麻の中出て気の広う成
霍乱を吹だまされし青嵐 才麿
「霍乱(かくらん)」はコトバンクの世界大百科事典第2版の解説によると、
「古くから知られていた,中国医学の病名の一つで,嘔吐と下痢を起こし,腹痛や煩悶なども伴う病気の総称である。暑い時に冷たい飲食物をとりすぎるなど,冷熱の調和を乱すことによって起こると考えられていた。乾霍乱,熱霍乱,寒霍乱など種々の病名が記載されている。病状からみてコレラや細菌性食中毒などを含む急性消化器疾患と考えられる。現在の中国語では霍乱とはコレラのことである。【赤堀 昭】
[日本]
日本では一般に日射病などの暑気あたりの諸病をさすが,古くは中国と同様激しい腹痛,下痢,嘔吐を伴う急性胃腸炎のことをいった。」
だそうだ。
「青嵐(あおあらし)」もコトバンクのデジタル大辞泉の解説に、
「初夏の青葉を揺すって吹き渡るやや強い風。せいらん。《季 夏》『―定まる時や苗の色/嵐雪』
とある。
夏の厚さが原因となる病気も麻畑で青葉を揺する涼しい風に吹かれていると、何となく治まったような気にさせられる。
二十二句目
霍乱を吹だまされし青嵐
雨のとをれば桐油(とゆ)まくる竹輿(かご) 尚列
桐油は中国原産のアブラギリ(トウダイグサ科)の実から採れる油で、有毒な成分が含まれているため、食用にはできず、主に燃料用に用いられていたが、油紙を作るのにも用いられていた。
「けふばかり」の巻の第三に、
野は仕付たる麦のあら土
油実を売む小粒の吟味して 酒堂
の句もある。
ここでいう竹輿は簡素な山駕籠のことで、町駕籠のような簾はなくて乗っている姿が外から丸見えで、雨を凌ぐには桐油を塗った油紙が用いられていたのだろう。
通り雨が通り過ぎたので桐油紙を捲り上げると、霍乱も忘れるような青嵐が吹いてくる。
二十三句目
雨のとをれば桐油まくる竹輿
淋しさを酒で忘れんすまのうら 海牛
『源氏物語』の「須磨」では光源氏らは未曾有の風雨や雷に遭うが、江戸時代に光源氏がいたら駕籠で旅をして須磨にやってきて、雨が上がったら灘の酒で一杯やったことだろう。本説でも俤でもなく、換骨奪胎の句。
「淋しさを酒で忘れん」というフレーズは今の演歌でもありそうなもので、大阪談林の俳諧は蕪村を経て浪花節に受け継がれ、今の演歌の情緒に受け継がれているのかもしれない。
二十四句目
淋しさを酒で忘れんすまのうら
禄とらねども秋は来にけり 千山
牢人の句とし、今年もまた仕官の決まらないまま、秋が来ても禄をもらえず、家族の者とも離れ、一人酒でも飲んで気を紛らわす。
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