今日はやや暑さが戻った感じがする。
さて、『あめ子』の表六句の続き。次は之道の第三。
空いそぎする秋の船衆
後戸の月の有間に飯喰て 之道
秋なのでここで月を出すのは必然と言えよう。いくら定座だからといって五句目まで秋を引っ張る必要はない。
船衆の急ぐ様子をまだ真っ暗なうちに朝食をとる風景で表した。笑いは取りに行ってないけど、いかにもありそうなことを付ける所に蕉門らしさが感じられる。
四句目。
後戸の月の有間に飯喰て
膝へ飛しは青蛙(あまがえる)なり 鬼貫
青蛙で季節を夏に転じる。道路に面してない後戸の向こうは田んぼだったりする。そんなところで飯を食っていると雨蛙が飛んでくる。ありそうなことで、これも蕉門的な展開だ。
五句目。
膝へ飛しは青蛙なり
羊蹄(やうてい)のあたりや風の吹ぬらん 鬼貫
羊蹄はギシギシのこと。ウィキペディアによれば、
「タデ科の多年草。やや湿った道ばたや水辺、湿地、田のあぜなどに生え、日本全国に分布する。生薬名は、羊蹄(ヨウテイ)。
ギシギシの花は曲亭馬琴編の『増補 俳諧歳時記栞草』の夏の四月のところにあり、夏の季語だった。
『元禄俳諧集 新日本古典文学大系71』の注では生薬のこととし、羊蹄を塗った膝の辺りに蛙が、とするが、それだと無季になるので、次の句に「丹波太郎(入道雲)」が出てくるのおかしい。
ここではギシギシの花の咲き茂る辺りに風が吹いたので、そこに留まっていた蛙がびっくりして膝に飛び乗ってきたとした方がいい。それも「風の吹ぬらん」とぼやかして、多分風が吹いたからだろうくらいに留めている所は、さすがに鬼貫さんだ。連句が解ってらっしゃる。
表六句なので次はもうあっという間に挙句になる。
羊蹄のあたりや風の吹ぬらん
丹波太良が聳(そびく)昼時 之道
ギシギシの辺りからか、涼しい風が吹いてきたと思ったら、入道雲が高く聳え立っている。これは一雨来るな、というところで一巻は終わる。
鬼貫参加だが、之道の捌きが冴えているのか、立派に蕉門の一巻に仕上がっている。
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