こやん源氏の明石巻は途中までは描いている。ここで少し公開しておこう。
なお雨風やまず、雷も静まらないまま日々が過ぎて行きました。
全く憂鬱なことばかり重なります。
これまでもこれから先も悲しいことばかりだと思うと、希望を持とうにもなかなか難しいものです。
「どうしたらいいものか。
こんな状態だからといっても、都に帰った所でまだ世間が許してくれたわけではないし、ますます物笑いの種になるだけだし、だったらもっと山奥に籠って誰にも知られることのないところに行ってしまおうかと思っても、波風にまでも追い立てられてと嫌な伝説になって後世にまで面白おかしく語り継がれるのではないか」
と思うとどうにも身動きが取れません。
夢にもただいつもおなじ光景が繰返し現れ、すっかり取り憑かれてしまってます。
雲が切れることなく何日も過ぎて行くと、京都からの便りもますます滞るようになり、このまま世間では死んだことにされてしまうのだろうかと不安に思っても、首を外に出すことすらできないような悪天候に、わざわざやってくる人もいません。
そんな中、二条院からの使者がやけにみすぼらしい姿でびしょ濡れでやってきました。
道ですれ違えば人なのかどうかもわからないような状態です。
本来なら真っ先に追い払って然るべき下賎の者でも、親族に会えたかのように喜んでいることが我ながら恥ずかしく、つくづく落ちぶれたもんだと身にしみて思うのでした。
その手紙には、
「いつになっても降り止むことのない今日この頃のお天気に、ますます心まで閉ざされたうわの空で、何も手に付かないまま過ごす日々です。
海べりの風はどうなの想像を
しては何度も袖は濡れます」
と悲しい気持が切々と綴られてます。
ますます涙の水位が上がったのでしょうか、目の前が真っ暗です。
「都でもこの雨や風は、とにかく不吉な前兆だということで仁王会なども行なわれていると聞いています。
宮中に出入りする上達部なども外出すらままならず、政治の方も滞ってるようです。」
というようなことを話すのですが、どうにも頭が悪そうで要領を得ず、それでも都の方のことを思えばいろいろ知りたいこともあるので、自分の前に連れて来させて尋ねました。
「ただこんな雨が止むことなく降り続けて、風も時折吹くような状態がもう随分と長く続き、前例のないことなのでみんなびっくりしているのです。
もっとも、地の底までも貫くような雹が降ったり雷が止まないなんてことはありません。」
など、こちらがあまりにひどい状況なのに驚いて怖気づいて顔面蒼白なのを見ると、ますます不安になります。
「このまま世界は破滅するのか」と思っているうちにも、そのまた次の明け方から風がひどく吹き荒れ、高潮が押し寄せ、波は音を荒げて岩も山も飲み込んでしまうかのようです。
雷が光っては鳴り響くさまはこれ以上言いようがないくらいで、「落ちて来るぞ」と思った瞬間は誰も彼もが理性を失っています。
「わわわわわっ、こんなひどい目にあって、一体俺は前世でどんな罪を犯したってゆうんだーーーーっ。」
「父さん母さんにも逢えなければ最愛の妻の顔をも見ることなく、ここで朽ち果てるのか。」
と嘆くばかりです。
源氏の君は何とか冷静さを保ち、
「何も悪いことやってないのにこんな辺鄙な海辺で死んでたまるか」
とあくまで強気ですが、周りがあまりにも騒ぎ立てるので、いろいろな神へのお供え物を並べ、
「住吉の神よ、どうかこの辺りを静め、守ってくれ。
本当に御仏の我が国に現れたる神ならば助けてくれ。」
と幾多の衆生救済の大願を求めました。
みんな自分の命のことはともかくとして、これだけの大人物が異常な事態にあってこの地に沈んでいることに大層心を痛め、発心し、ちょっとでも信心のあるものなら我が身に代えてもこのお方を救ってくださいとどよめきが起こり、声を合わせて神仏に祈りを捧げました。
「帝王の深き宮に育って、幾多の風流を楽しみ得意になっていたところはあったのもの、この日本の津々浦々に至るまで民を深く愛し、埋もれていた人材も発掘してきたんだ。
今何の罪あってここで邪悪な波風に溺れるというのか。
天地の道理を明らかにせよ。
罪もないのに罪人となり、官位を剥奪され、家を離れ都を追われ、明けても暮れても安らぐことなく嘆いているというのに、こんなひどい仕打ちで死んでしまうというのは前世の報いによるのか現世での犯罪によるものなのか、神仏よこの世にいるのであればこの災厄を鎮めてくれ。」
と住吉社の方角に向って、様々な願い事をし、また海の中の竜王や八百万の神に願い事をすると、雷はますます大きな音を立て、居間寝室へと続く廊下に落ちました。
炎を上げて燃え上がり、廊下は焼け落ちました。
理性も感情も失い、ただみんな呆然とするばかりです。
後ろの方にある大炊殿のような所にみんなを移し、身分の高いものも低いものの一緒になって、とにかく大声で泣き騒ぐ声は雷にも劣りません。
空は墨を磨ったような状態で日も暮れました。
やっとのことで風もおさまり雨脚も緩むと星の光が見えてきて、このすっかり変わり果てた居間にいつまでも居させるのも何とも申し訳なくて、寝殿に戻らせようとすると、焼け残った方も目を背けたくなるような状態で、そこらかしこ右往左往する人の足音がごろごろ鳴り響き、御簾なども皆風で散乱してました。
ここで夜を明かすしかないかと何とか辿り着いて、源氏の君はお経を唱えながらあれこれ考えるのですが、どうにも落ち着けません
月の光も差し込み、柴の戸を押し開けて辺りを見回すと、波がすぐそばまで押し寄せた跡もなまなましく、その余波なのか今でも波は荒々しく寄せては返すのでした。
さて、「立出て」の巻の続き。
二十五句目
禄とらねども秋は来にけり
笠着せてかかしにやとふ古俵 占立
案山子は昔は「僧都」とも呼ばれた。僧都は仏教界を統制する僧官だが、ここでは古俵に笠を着せた方の僧都で、禄をもらっているわけではない。禄がなくても秋は来ている。
二十六句目
笠着せてかかしにやとふ古俵
むかし捨たる姥を泣ク月 才麿
案山子が立っているのは田んぼだということで、千枚田から姥捨山の田毎の月ということになる。本説付け。
田毎の月は本来は初夏の水を張ってまだ田植えをしてない田んぼに月で明るくなった空が映ることをいうが、『大和物語』の姥捨山伝説では田毎の月とは関係なく、姥を捨てたけど月を見ていて悲しくなって、
わが心なぐさめかねつ更級や
姨捨山に照る月をみて
と歌を詠んで姥を迎えに行ったことになっている。貞享五(一六八八)年の、
俤や姨ひとりなく月の友 芭蕉
の句も有名だ。
二十七句目
むかし捨たる姥を泣ク月
此一(ひ)ト間折には風の吹のこり 尚列
本説付けは逃げるのが難しいという欠点があり、そこで蕉門では出典がはっきりわかるような本説から、曖昧な俤付けへと変化していく。
ここでも「捨たる姥」が前句にある以上、姥捨伝説からは逃れ難い。ただ舞台を姥捨山から小さな部屋へと変える。このことで、部屋の中で姥捨ての物語を聞いて涙する場面になる。
二十八句目
此一ト間折には風の吹のこり
恋なればこそ爰に来られる 海牛
そこだけ世間の風から隔絶された部屋では、男女が睦み合うことになる。
二十九句目
恋なればこそ爰に来られる
物竅(むな)シ雪にうたるる袖の尺(たけ) 千山
雪の中をじっと待ち続けている女の姿だろうか。今でも演歌ではありがちだ。
三十句目
物竅シ雪にうたるる袖の尺
そのしはぶきのうそと真を 占立
「しはぶき」は会いに来たという合図の咳払いだろう。前句の雪に打たれていたのはここでは会いに来た男の姿になる。だが、雪の中わざわざ合いに来てくれたといって喜んでいては相手の思う壺。そこは男と女騙し騙され‥‥ってやっぱり演歌だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿