九月九日は重陽で菊の節句だが、新暦では菊の花にはまだ早い。
草の戸や日暮れてくれし菊の酒 芭蕉
の句は元禄四年膳所木曾塚の無名庵での句で、「九月九日、乙州が一樽を携へ来たりけるに」という前書きがある。
草の戸や日暮れてくれし菊の酒
蜘手に載する水桶の月 乙州
の脇がある。「蜘手(くもで)」はweblio古語辞典の「学研全訳古語辞典」によれば、「(木材を)四方八方に打ちつけたり、縄で結わえつけたりすること。」だという。
元禄七年最後の年の重陽にも、
菊の香や奈良には古き仏達 芭蕉
菊の香や奈良は幾代の男ぶり 同
くらがり峠にて
菊の香にくらがり登る節句かな 同
九日、南都をたちける心を
菊に出て奈良と難波は宵月夜 同
などの句がある。
菊の酒は不老不死の仙薬とされていた。凡河内躬恒の「こころあてに」の歌も、菊の酒を作ろうとしたものか。
それではこやん源氏「明石」の続き。今のところここまでしか書いてないので、とりあえずここで終わり。
須磨はひどく寂れたところで漁師の家もほとんどなかったが、ここは人が多くてうざいと思っては見ても、季節折々の風情にあふれ、何かにつけて気が紛れます。
主人の入道は、日々の修行やお勤めの時はいかにも悟りきったようなのですが、ただ例の娘一人が悩みの種のようで、とにかく見ていて痛いくらいで、時折愚痴をこぼすのでした。
源氏も内心、なかなかの美人だと聞いていた人だけに、こんな風に思いもかけず廻り合えたことは何かの縁ではないかと思ってはみるものの、そうはいっても隠棲の身なので、仏道の修行のこと以外は考えまい、ただでさえ都に残してきた人から話が違うと言われると思うと気が引けて、無関心を装ってました。
ただ、話を聞けば聞くほど、性格といい容姿といい並々ならないのを感じとると、興味無きにしも非ずです。
入道の方も遠慮があってか、娘に会いに行くことはほとんどなく、大分離れたところの下屋にいるようです。
本当は朝から晩まで傍にいたいといつも思っているようで、何としても良い縁談を見つけたいと神仏に祈るばかりです。
入道は六十くらいになるとはいえなかなかの美形を維持していて、修行のせいで痩せ細って人間的にも上品に振舞おうとしているのか、偏屈で常軌を逸したところはあるが、故事などにも詳しく、根は純粋で人情に精通している部分もあるので、昔のことなどをいろいろ聞いたりする分には少しばかり退屈も紛れます。
最近は公私共に忙しくてなかなかじっくり聞くこともできなかった昔あった出来事なども、少しづつ聞き出すことができました。
こういう場所や人に廻り合えなかったならほんと退屈だったな、と思うような面白い話も混じってました。
そうはいっても、これだけ親しくしていながらも源氏の君のあまりにも完璧で近寄りがたい美貌に圧倒されて萎縮してしまい、自分の思っていることを率直に切り出すことができないのを、情けないやら悔しいやらと母君にこぼしては溜息ばかりです。
本人も、どこを見回しても目の保養になるような人にめぐり合えないようなこんなところに、まったくこんな人もいるんだと思ってはみるものの、自分の身分を考えれば遥か彼方の人のように思うのでした。
親があれこれと画策しているのを知ってはいるものの、「所詮不釣合いね」と思っては、今まで以上に悲しくなるのでした。
旧暦の四月になりました。
衣更えの装束や御帳に用いる裏地のない絹など、なかなかのセンスのものが用意されてました。
万事至れり尽くせりのおもてなしも、参内するわけでもないのだから無駄でどうでもいいようなことのように思えるものの、性格的にどこまでもプライドの高い高貴な生まれの人だけに、目をつぶることにしました。
京からも次々と慰問の手紙やら贈り物やらがたくさん届いて、ほとんどきりがないくらいです。
長閑な夕月夜に海の上が霞むことなく見えわたるのを見るにつけ、住み慣れた我が家の池の水を思い出し、言いようもないくらい恋しくなるものの、その気持ちのやり場もなく、ただ目の前に見えているのは淡路島でした。
「淡路にてあはと遥かに‥‥」と凡河内躬恒の歌を口にすると、
♪Aha!と見る淡路の島が悲しいよ
現実だけを見せる夜の月
長いこと手も触れなかった七弦琴を袋から取り出して空しく掻き鳴らす姿に、見ている人も少なからず互いを哀れみ悲しく思うのでした。
「広陵散」という竹林七賢の稽康ゆかりの曲を渾身の力を込めて弾いてみせると、あの高台の家でも松風や波の音と合わさり、察しの良い若い娘さんなら、その気持ちは痛いほど伝わったことでしょう。
都の音楽など何も知らないそこらかしこの歯の抜けた老人たちも浮かれ出てきて、浜で風に吹かれて風邪を引いたくらいでした。
入道も居ても立ってもいられず、供養の行を放り投げて急遽駆けつけました。
「まったく、捨てたはずの俗世も今さらながらに思い出してしまったよ。
死んだ後に行きたいと思っている極楽浄土とやらも、きっとこんな感じなんだな。」
と涙を流しながら聞き惚れていました。
源氏の君も内心、四季折々の管弦の宴やあの人この人の筝や笛、あるいは俗謡を唄う様子などそのつど何かとみんなから賞賛されたときのことや、御門をはじめとして大切にされ尊敬を集めたことなど、いろいろな人のことや自分自身のやってきたことも思い出して、夢見るような気持ちで掻き鳴らす琴の音も心にぞくっとするほど染みてきます。
年老いた人は涙が止まらずに岡の麓の家に琵琶や筝を取りにいかせ、入道はさながら琵琶法師のように目も開けられず、珍しい面白い曲を一つ二つ弾いてみせました。
筝が届けられると源氏の君が少し弾いただけで、何をやってもすごいんだと思い知らされました。
まったく、たいしたことのない人が弾く音だって、時と場合によっては上手く聞こえるものなのに、遥か遠くまで遮るものなく見渡せる海の眺めに、なまじっかな春秋の桜や紅葉の盛りよりもただそこはかとなく茂る草木の陰が渋く彩り、クイナの戸を叩くような声は「誰が門を閉ざしたんだ」と哀れに思えます。
入道が二つとないような音色の出る琴や筝を大変懐かしそうに弾き鳴らしてるのが気になったか、
「これはまた、女のなついて離れないような感情にまかせてに弾いているようで面白いなあ。」
と大雑把な感想を言うと、入道は苦笑いしながら、
「楽器ほど女のようになついて離れ難いものはどこにありましょうか。
私めは、醍醐天皇より伝わる弾き方の三代目の継承者で、このとおり何の才能もなくこの世を捨てて忘れた身なのですが、胸の塞がるような思いが込み上げて来たときに楽器を掻き鳴らしていた所、何だか知らないがまねして弾く者がいて、自然とあの先大王の弾き方に通じるものがありまして。
山伏の思い違いで松風と聞き誤ったのかもしれませんが、どうでしょう、これもこっそり聞かせてあげたいものでして。」
と言うとそのまま急に身を震わして涙が流れ落ちているような様子でした。
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