2017年9月11日月曜日

 今日都内で彼岸花が咲いているのを見つけた。今年も彼岸花の季節となった。
 去年は彼岸花の句として、

 弁柄の毒々しさよ曼珠沙華   許六
 赤々と残る暑さや死人ばな   孟遠

の二句を紹介した。
 今日は大阪談林の賀子の撰による『蓮実』から、

 蓮の実を袖に疑ふ霰哉    西鶴

を発句とした歌仙の二十七句目、

   さす形リ悪き穢多が大小
 折ル人もなき片野べも山慈菇(しびとぐさ) 万海

を見てみよう。
 穢多は通常十手や六尺棒を用いて犯罪者を生け捕りにするのが仕事だったが、特別な場合には帯刀することもあったという。
 前句は、

   遷宮の七日内陣鳴止ず
 さす形リ悪き穢多が大小   賀子

で、内陣は御神体を祀るところ、そこが七日間何か物音がしているというのだが、これだけでは何のことかわからない。
 この場合の遷宮は出雲大社の遷宮で寛文七年(一六六七)の寛文造営だったのかもしれない。出雲大社の神在月の七日間は全国から八百万の神が集まって会議を開くため、この時期は出雲参りで大勢の人が押し寄せた。急遽警備のために穢多が集められたりしたのだろうか。
 「さす形(な)リ悪き」というのは大小の刀を差した姿が武士のようにさまになってないという程度の意味だろう。
 さて、それでは「折ル人もなき片野べも山慈菇」だが、「野辺」は古くは埋葬地を意味していた。片野辺は小さな埋葬地という意味だろうか。穢多から野辺の連想はその意味では自然で、付き物と言ってもいいだろう。そこには死人花とも死人草とも呼ばれる彼岸花が咲いている。
 彼岸花は最近ではリコリスという洒落た名前で呼ばれたりするが、長く死人花と呼ばれてきた歴史は今でも残っている。竜騎士07さんの『彼岸花の咲く夜に』をはじめとして、今でも不吉なおどろおどろしいイメージで描かれることが多い。

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