『嵯峨日記』といえば落柿舎。その落柿舎の名前の由来については、去来の俳文、「落柿舎ノ記」に記されている。「落柿舎ノ記」は宝永三年(一七〇六)刊許六選の『風俗文選』に収められている。
ただ、この俳文の末尾にある、
柿ぬしや梢はちかき嵐山 去来
の発句は元禄四年の『猿蓑』にあるから、元禄三年秋までには成立していたと思われる。
「落柿舎ノ記」の解説はググればいくらでも出てくるので省略するとして、要するに庭に四十本もの柿の木がありながら一夜にして落ちてしまったので、この柿主の所有する柿の木の梢は嵐山に近いから嵐で散ったんだ、と洒落てみたというわけだ。
いくら嵐山だからって嵐で柿が散ったわけではないだろう。ネットで調べれば柿の落下の原因はいろいろ出てくる。不受精、強樹勢、ヘタムシ、カメムシ、落葉病など、柿の落下にはいろいろ原因があるが、一夜にして大量に落下したとすれば原因はカメムシの大量発生だろう。
ヒントは『嵯峨日記』の中にもある。
「落柿舎は昔のあるじの作れるままにして、処々頽廃ス。中々に作(つくり)みがかれたる昔のさまより、今のあはれなるさなこそ心とどまれ。彫(ほりもの)せし梁(うつばり)、画(えがけ)ル壁も風に破れ、雨にぬれて、奇石怪松も葎の下にかくれたるニ、」
この「葎」が問題だったのではなかったか。カメムシは果実食で、杉や檜の実のほか、カナムグラの実も好んで食べる。また、カナムグラはつる性で、クズなどとともにつる性の植物はカメムシの産卵に用いられる。荒れ果てた庭は実はカメムシの繁殖に適していたのではなかったか。
『嵯峨日記』の文章はこのあと、
「竹縁の前に柚の木一もと、花芳しければ、
柚の花や昔しのばん料理の間
ほととぎす大竹藪をもる月夜
尼羽紅
又やこん覆盆子(いちご)あからめさがの山」
と続く。
柚の花や昔しのばん料理の間 芭蕉
柚子は今でも和食には欠かせない。昔はこの柚子を使ったご馳走がたくさん並べられたんだろうな、と元伊賀藤堂藩料理人らしい一句だ。
ほととぎす大竹藪をもる月夜
ただの竹やぶではなく「大竹藪」というのがいかにも荒れた感じを出している。「もる」は「漏れる」と「守る」を掛けている。
羽紅の句は赤くなった苺を持ってまた来たいという句だが、「覆盆子あからめ」は頬を赤らめた様子も連想させる。さすがおとめさんだけあって乙女チックな一句だ。
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