「牡丹散て」の巻の続き。
二十五句目
勅使の御宿申うれしさ
江(かう)に獲たる簣(あぢか)の魚の腹赤き 蕪村
(江に獲たる簣の魚の腹赤き勅使の御宿申うれしさ)
「簣(あぢか)」は竹などで編んだ籠のことで、ネットで検索すると天秤棒の前後にぶら下がった大きな竹籠のイラストを見ることができる。
腹の赤い魚と言うのはおそらくウグイだろう。婚姻色は春に生じるものだが、時に季語にはなっていない。
「江に獲たる」と言う漢文っぽい言い回しは、芭蕉の天和調を意識したものか。特に意味はなく、ただ一巻の変化をつけるためにやってみたという感じだ。
王朝時代に行われていた「腹赤の奏」を意識したと思われるが、どれくらいの人がそのことを理解できたのかはよくわからない。あまり知られてないような故事や出典で付けるのは、いかにも博識をひけらかしているようで好感は持てないが、こういう句が詠まれるようになった背景には、俳諧がマニアックになって、いわばオタク化したからではないかと思う。
仲間内にだけわかればいいという創作態度は今日の純文学でもしばしば見られる。ただ、そうなってしまうと一般社会から遊離して先細りになる。先細りになれば新たな創作への活力が失われ、あとは過去のパターンのリバイバルを繰り返すだけで、やがて保存の時代に入ってゆく。
無季。「腹赤奏」は曲亭馬琴編『増補 俳諧歳時記栞草』では春の正月の所に記されているが、ここでは春としては扱われていない。「江」と「魚」は水辺。
二十六句目
江に獲たる簣の魚の腹赤き
日はさしながら又あられ降 几董
(江に獲たる簣の魚の腹赤き日はさしながら又あられ降)
前句の魚の腹が赤くなる季節が春なら、この句も前句と合わせれば春の霰の句になるが、一句としては冬の句になる。
春になっても雪は降るし、霰が降ることも珍しくない。霰は積乱雲が発生した時に、湿った空気が急激に上昇し、急速に凍ることで生じるため、夕立の雨と同様局地的で、日が差しているのに降ってくることがある。
季題は「あられ」で冬。降物。「日」は天象。
二十七句目
日はさしながら又あられ降
見し恋の児(ちご)ねり出よ堂供養 蕪村
(見し恋の児ねり出よ堂供養日はさしながら又あられ降)
稚児というと男色を連想するが、ここでは若い修行僧の稚児ではなく堂供養の際の稚児行列の稚児。というわけで、このお稚児さんは蕪村さんの大好きな女児のことであろう。
「見し恋」というのは若紫の姿を垣間見た源氏の君の俤だろうか。
無季。「見し恋」は恋。「児」は人倫。「堂供養」は釈教。
二十八句目
見し恋の児ねり出よ堂供養
つぶりにさはる人にくき也 几董
(見し恋の児ねり出よ堂供養つぶりにさはる人にくき也)
稚児髷は関西で流行した女児の髪形。その髪に触っている人は親だか師匠だか知らないが妬ましい。
どうにでも取り成せる句で恋離れの句。
無季。「人」は人倫。
二十九句目
つぶりにさはる人にくき也
十六夜(いざよひ)の暗きひまさへ世のいそぎ 蕪村
(十六夜の暗きひまさへ世のいそぎつぶりにさはる人にくき也)
月の定座なので十六夜を出す。月の出が遅く、日が暮れてしばし真っ暗になる時間があるが、その隙すら世の中は忙しく人が行き来し、人の手が頭にぶつかったりする。ともすると喧嘩になりそうだ。
季題は「十六夜」で秋。夜分、天象。「日」から二句隔てている。
三十句目
十六夜の暗きひまさへ世のいそぎ
しころ打なる番場松本 几董
(十六夜の暗きひまさへ世のいそぎしころ打なる番場松本)
曲亭馬琴編『増補 俳諧歳時記栞草』の碪(きぬた)の所に「碪 四手打、綾巻、衣打、しころ打」とあり、「しころは槌の名也。槌にて打をいふ」とある。
番場は今の滋賀県にある中山道の宿場。琵琶湖東岸から関が原へ向う所にある。松本は大津宿の近くの石場一里塚のあたりか。この二つの地名の意味はよくわからない。
街道のあたりは夜でも急ぐ人がいたのだろう。砧の音が聞こえてくる。
季題は「しころ打」で秋。
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