マンチェスターでのテロ事件は痛ましい限りだ。ただ、人を憎んで自爆した人の魂と、幸せな時をみんなで作り上げた人たちの魂とでは、まだ後者の方が救われているのかもしれない。テロリストに屈することなく、これからも人生を楽しもう。
さて、「牡丹散り」の巻、って書いてたけど正確には「牡丹散て」の巻だったか。二の表に入る。
十九句目
春のゆく衛の西にかたぶく
能登どのの弦音かすむ遠かたに 蕪村
(能登どのの弦音かすむ遠かたに春のゆく衛の西にかたぶく)
「能登どの」は能登守平教経(たいらのつねのり)で、『平家物語』では壇ノ浦の戦いで死んだことになっている。
壇ノ浦の戦いが三月二十四日だったことから春の行方を平家の栄華の終わりに重ねあわせ、「西にかたぶく」には壇ノ浦が都の西にあることと西方浄土の死の暗示とを重ねあわせている。
諸行無常の響きを感じさせる句で、やはり釈教から離れ切れていない。ただ、江戸後期的にはこういうのを三句の渡りと呼んだのであろう。近代連句でいうようなイマジネーションのシークエンスの先駆だといわれればそのとおりということになるのか。
季題は「かすむ」で春。聳物(そびきもの)。「能登どの」は人倫。
二十句目
能登どのの弦音かすむ遠かたに
博士ひそみて時を占ふ 几董
(能登どのの弦音かすむ遠かたに博士ひそみて時を占ふ)
魔除けのために弓を鳴らす鳴弦は『源氏物語』にも描かれているが、それで占いをしたのかどうかはよくわからない。ここは単に遠くで弓を射っている能登殿を影で見守りながら博士が戦況を占っているというだけかもしれない。
無季。「博士」は人倫。
二十一句目
博士ひそみて時を占ふ
粟負し馬倒れぬと鳥啼て 蕪村
(粟負し馬倒れぬと鳥啼て博士ひそみて時を占ふ)
『論語』に登場する公治長という人物については『論語義疏』に鳥の言葉を介したという逸話が記されている。
雀の声を聞いて、「雀鳴嘖嘖雀雀、白蓮水邊有車翻覆黍粟、牡牛折角、收斂不盡、相呼往啄。(雀が騒ぎ立てているのは白蓮水のほとりで車がひっくり返ってキビやアワをぶちまけてしまい、牛の角が折れて収拾が付かなくなっているから、そのキビアワを食べに行こうという話で盛り上がってるからだ)」と言い、人に見に行かせるとその通りだったという。鳥の話から遺体の場所を言い当てたら犯人と間違えられて投獄されていたが、このことで疑いが晴れたという。
まあ、孔子の時代より千年も後の伝説だが、江戸中期以降の古学の影響で、こういう話も一般に知られるようになっていたのか。牛を馬に変えるのは本説付けのお約束。
ただ、この公治長の伝説と前句がどういうふうに結びつくのかよくわからない。ウィキペディアによると「後半の雀の言葉は、ほとんど同じものが『太平広記』巻13と巻462にも見える」とあるので、あるいはそちらの本説か。『太平広記』のテキストが見つからなかったので確認できなかった。
無季。「馬」は獣類。「鳥」は鳥類。
二十二句目
粟負し馬倒れぬと鳥啼て
樗(あふち)咲散る畷八町 几董
(粟負し馬倒れぬと鳥啼て樗咲散る畷八町)
樗は日本では「あふち」と訓じられ、栴檀の古名ともいう。中国では『荘子』逍遥遊編で恵子と荘子の対話の中に登場し「無用の用」の例とされている。
前句の中国の説話を受けて、「樗」という中国風の木を登場させたのであろう。
「畷」はあぜ道のこと。東海道川崎宿には八丁畷という地名もあり、芭蕉の元禄七年の最後の旅の時、弟子たちがここまで送ってきたという。
季題は「樗」で夏。植物、木類。曲亭馬琴編『増補 俳諧歳時記栞草』の夏の
所に「楝(あふち)の花」という項目がある。
二十三句目
樗咲散る畷八町
立あへぬ虹に浅間のうちけぶり 蕪村
(立あへぬ虹に浅間のうちけぶり樗咲散る畷八町)
田舎のあぜ道に浅間山の虹を付ける。小諸あたりの景色だろうか。きれいなアーチ状の虹ではなく半分消えて根元だけが東の空に見えているのは夕立の後だろうか。そこに俄に浅間山の噴煙が上がる。
富士山を祭る神社も浅間神社というが、「あさま」は本来火山のことを広く指す一般名詞だったのだろう。語源については諸説ある。
この頃は長閑な田舎の景色だったが、三年後の天明三年、浅間山は大噴火する。
無季。「虹」は近代では夏になる。「浅間」は名所。山類。
二十四句目
立あへぬ虹に浅間のうちけぶり
勅使の御宿申うれしさ 几董
(立あへぬ虹に浅間のうちけぶり勅使の御宿申うれしさ)
勅使は天皇の代理として宣旨を伝える者のことだが、江戸時代だと将軍宣下、つまり将軍が変わる時に征夷大将軍に任ずる儀式のための使いであろう。中山道を通ることもあったのか。何らかの事情で中山道を通ったので思いもかけず勅使をお泊めすることになったということか。
無季。「勅使」は人倫。「御宿」は旅体。
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