さて、「牡丹散て」の巻も二裏に入り、残す所あと六句。難解な出典関係によらず軽くつけていったのが幸いしたのか、結構終盤は盛り上がる。
三十一句目
しころ打なる番場松本
駕舁(かごかき)の棒組足らぬ秋の雨 几董
(駕舁の棒組足らぬ秋の雨しころ打なる番場松本)
秋の冷たくしとしと降る雨は勤労意欲をそぐもの。宿場町の駕籠かきも欠勤が多い。
季題は「秋の雨」で秋。降物。「駕舁(かごかき)」は人倫。
三十二句目
駕舁の棒組足らぬ秋の雨
鳶も鴉もあちらむき居る 蕪村
(駕舁の棒組足らぬ秋の雨鳶も鴉もあちらむき居る)
秋の雨に出歩く人も少なく閑古鳥の啼く駕籠屋では、閑古鳥ならぬトンビやカラスもそっぽ向いている。
無季。「鳶も鴉も」は鳥類。
三十三句目
鳶も鴉もあちらむき居る
祟なす田中の小社神さびて 几董
(祟なる田中の小社神さびて鳶も鴉もあちらむき居る)
田中の小社は石祠が立っている程度のものだろう。道祖神や庚申さんや馬頭観音やお稲荷さんは今でもよく見る。非業の死を遂げた旅人の塚なんかもこれに含まれるか。そういうものは祟りを恐れて祀られている。
お供え物を狙うトンビやカラスが背中向けていると、何だか祟りを畏れているみたいだ。
無季。「小社」は神祇。
三十四句目
祟なす田中の小社神さびて
既玄番(すでにげんば)が公事も負色 蕪村
(祟なす田中の小社神さびて既玄番が公事も負色)
玄蕃寮は律令時代の機関で、ウィキペディアには「度縁や戒牒の発行といった僧尼の名籍の管理、宮中での仏事法会の監督、外国使節の送迎・接待、在京俘囚の饗応、鴻臚館の管理を職掌とした。」とある。
時代が下ると何とかの守と同様、武将が名目上こういう役職名を名前の中に入れていたのか、戦国時代の遠江国の井伊家の家老に小野玄蕃朝直という人物がいる。
おそらく本来の仏教関係者の雰囲気を持たそうとしたのだろう。小社のある土地が神社のものかお寺のものか訴訟になっていたのだろうか。芭蕉が慕っていた仏頂和尚は、徳川家康によって寄進された鹿島根本寺の寺領五十石を鹿島神宮が不当に占拠しているかどで訴訟を起こし、勝利している。だが、この句の玄番さんの訴訟では神社の勝利で「神さびて」いる。
無季。
三十五句目
既玄番が公事も負色
花にうとき身に旅籠屋の飯と汁 蕪村
(花にうとき身に旅籠屋の飯と汁既玄番が公事も負色)
「花にうとき身」は西行法師の「こころなき身にもあはれは知られけり」だろうか。月花の心など知らぬ無風流なものでも、桜の季節となれば旅籠屋の飯と汁も、心なしか花見のご馳走に見えてくる。
木のもとに汁も膾も桜かな 芭蕉
の句の心を踏まえていると思われる。公事の方が負けて花と散ったあとだけに桜の散るのが余計に哀れに思える。
季題は「花」で春。植物、木類。「身」は人倫。
挙句
花にうとき身に旅籠屋の飯と汁
まだ暮やらぬ春のともし火 几董
(花にうとき身に旅籠屋の飯と汁まだ暮やらぬ春のともし火)
薄暗くなって行灯に火をともすものの、日が長くて暮れそうで暮れない。昼行灯じゃないが、何となく影が薄い。
前句の「花にうとき」の謙虚な心を受けて、昼行灯のようなものですよ、と謙虚に結ぶ。
季題は「まだ暮やらぬ春(遅日)」で春。
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